2013年7月14日掲載 − 小さな革命
古文書の旅追記

クリスティーンは1961年8月13日、西ドイツの両親の元にきていた。朝ラジオで東西べルリンに壁が建設されることを知って、慌てて養母のいる東ドイツに戻っている。


そのいきさつについては、旧バージョンの「べルリンの見えない壁、1961年8月13日」で、すでに述べている。


クリスティーンには、東西ドイツ統一後20年経って、今どう思っているか、聞きたくて、会いたいと電話をした。その時、クリスティーンは今風邪をこじらせて体調が悪いので、よくなったら電話をするといってくれた。


しかし、数週間経っても電話がこない。電話をかけても、誰も出ない。留守電にもならない。どうしたのか、とたいへん心配していた。


すると、夫のジークマールから手紙がきた。クリスティーンが亡くなったという知らせだった。クリスティーンが亡くなったのは、ぼくがクリスティーンと電話で話してから、数日後だったという。


(2013年7月14日、おすと   えいゆ)
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