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2013年7月21日掲載 − ベルリンの見えない壁
民主化運動家ローラント・バーロー、インタビュー(2)
Q:でも、統一したらどうなるかは、当時から結構予測できたのでは。

すべてが予測できたわけではない。

たとえば、東ドイツの企業が世界市場の競争の中で生き残っていけないのは、当時から予想できた。

それから、社会問題。企業が破綻すると、労働者は解雇され、失業者が急増するのはわかっていた。

これほど大きな問題になるとは予想できなかったのが、土地の問題だ。統一条約によって、土地の旧所有者が45年前に所有していた所有権を取り戻すことがきるようになった。この問題がこれほど大きな問題になるとは、誰も予想できなかった。

40年間、土地のことで何もしてこなかった人が、多くは西ドイツで生活していた人たちだが、苦労もせずに所有権を取り戻した。

その間、土地の面倒を見てきた東ドイツ市民の苦労は水の泡となって、奪われたのだ。


Q:土地や住居から追い出された東ドイツ市民には、代替の土地とか住居は与えられたのか。

20年、30年とその場で生活していた市民をどう救済するのか。本来であれば、それがポイントだった。そのために、旧所有者に損害補償をすることもできたはずだ。

しかし、まず旧所有者に土地を返す。それが優先された。返還を望まなければ、補償することになった。東ドイツ人の居住権は見捨てられたのだ。本来なら、旧所有者の損害賠償を優先させるべきだった。


Q:損害賠償は国がしたのか。

必要な場合は、国がした。


Q:土地が返還された場合、国はどうするのか。

何もしない。土地から追い出された東ドイツ市民が自分で新しく住む場所を探すしかなかった。


Q:でも、土地から出たくないという人が多いはずだから、国はたくさん補償した。

いや、そう簡単にはいかない。旧所有者が返還を求めなければ、損害賠償を請求できる。しかし、土地は売れるので、旧所有者は返してほしいという。都市部では、統一後土地が急騰したので、誰も返してほしいといった。そうなると、東ドイツ市民は出て行くしかなかった。

旧所有者が誰か、確定するのもたいへん難しかった。裁判で判決が出るまで、たいへん時間がかかった。

裁判の判決が出るまで、土地はどうすることもできないので、それで都市部では再開発に投資できず、都市の再開発が遅れていった。

利益目的の土地転がしも増えた。


Q:資本主義がすぐに流れ込んできたということか。

わたしにとっては、民主主義が東ドイツでどう根付いていくかのほうが大切だった。

しかし東ドイツでは、民主主義は根付かなかった。西側の資本に対する欲求と、社会主義体制時代から残った官僚機構が、共通の関心を持ってすぐに結び付いたのだ。

東ドイツ時代に権力を持っていたエリート層が、統一後も権力を握っていったのだ。国のトップということではない。その次のレベルのエリートたちだ。

官僚的な体制というのは、体制が変わろうが、同じということだ。


Q:ということは、上層部がスライドしていった。

その通りだ。当時、政党の役員や秘密警察の手先だった人たちが、社会の西ドイツ化で、当時の政治的な力を経済的に利用していったということだ。


Q:つい最近、旧東ドイツ南部でストライキがあったが、それは西ドイツから主導されていたということを聞いた。労組も同じということなのか。

東ドイツの金属労組が西ドイツの金属労組のために、東ドイツでストライキをやったということだ。

ただ、これは経営者側が東ドイツで賃金の自主性を破棄してしまおうとしたからだ。そうなっては、なし崩し的に西ドイツでもそうなる心配があった。

ストをするかしないかは、地元の組合員が決めることなので、西ドイツから圧力がかかってストをしたというわけではない。

東ドイツの金属労働者の賃金は平均で、西側労働者の60%から65%にすぎない。物価が東西で変わらないのにだ。東ドイツの労働者は、ストをせざるを得なかったともいえる。


Q:西側経済の都合のいいように、東ドイツでの40年間の生活をゼロにしているのではないかと感じるが。

確かに、そういうところがあると思う。

ただ、わたしはこう思っている。

われわれノイエス・フォルムのメンバーは、東ドイツとの結び付きが強いとはいえなかった。だから、反体制運動ができた。現在のひどい状況についても説明しやすいところがある。

ただ、実際に失業してしまった人の状況が現在どうなっているのか。どれほど悲惨なものなのか、これから先どうなるのかということになると、わたしには何もいえない。


(1994年、べルリンのカフェでインタビュー)
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