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2013年7月1日掲載 − ベルリンの見えない壁
J ・ Oのベルリン便り、最終回

ぼくのこれまでの人生を振り返ると、体制の違う東ドイツで生活できたことがたいへん大きな重みを持っています。だからベルリン便りにおいても、東ドイツのことについて書いてきました。ベルリン便りはこれで、最終回となります。やはり最後も、東ドイツに関わることで締めくくろうと思います。


ぼくは5年ほど前から、機会がある毎に元東ドイツ市民にインタビューをしてきました。著名な人はほとんどいません。一般の市民が主で、ぼくが当時から知っていた人もいます。ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一された後、一般の市民がその変化をどう体験してきたのか、統一前後で人生がどう変わったか聞きたかったからです。これまで、20人近くの人たちにインタビューをしてきました。


毎回インタビューをして感じるのは、聞き手のぼくのほうがいつも勇気をもらっていることです。社会の大きな変化を乗り越えてきた人たちそれぞれの人生と考え。人間どんなことがあろうとも、適応していけるのだな、変わっていけるのだな。その逞しさに、ぼくのほうが生きる勇気と力をもらっていました。


彼らの人生を変えたベルリンの壁の崩壊。来年11月で、あれからもう25年になります。


ベルリンの壁が崩壊した背景には、たくさんの要因があると思います。しかしその一つの大きな要因は、チェルノブイリで起こった原発事故ではないかと思います。


チェルノブイリで原発事故が起こったことは、東ドイツでは市民にほとんど知らされていませんでした。しかし市民の多くは、 西ドイツのテレビニュースから原発事故が起こったことを知っていました。 西ドイツのテレビ放送を東ドイツでも受信できたからです。


それでも、国家は情報を隠し通し、市民の多くは何事もなかったかのように暮らしていました。


しかしチェルノブイリ原発事故から一年ほど経つと、国家の伝える情報は間違っている、情報が隠蔽されているのではないかと、東ドイツ市民は、国家から出される情報に対して疑問を抱きます。


国家に洗脳され、国家への忠誠を強いられてきた東ドイツ市民。その市民の中に、社会主義国家体制に対して不信が生まれはじめていました。


東ドイツ市民は自分で情報を集めて、市民同士で情報を交換していくようになります。市民は、国家のいうことと現実の間に大きなギャップがあることに気づき、国内の環境問題や政治問題、社会問題に目を向けていくようになりました。


この東ドイツ市民の意識変化は、チェルノブイリ原発事故なくして不可能だったと思います。チェルノブイリ原発事故がきっかけとなった東ドイツ市民の意識変化。それが東ドイツの民主化運動へとつながり、ベルリンの壁を崩壊させた一つの大きな要因となりました。


同じことが、ソ連についてもいえるのではないでしょうか。ソ連においても、チェルノブイリ原発事故がソ連崩壊の一つの大きなインパクトをもたらしました。


こうして、冷戦の終結という歴史上の大きな転機が起こったのです。


でもそれは、今振り返ってみるから、そう感じるのだと思います。当時は、誰もそんなことを思ってはいませんでした。


ぼくはこのチェルノブイリの体験から、福島第一原発で起こった大惨事も日本社会に大きな変化をもたらさないはずがないと思っています。また、そう望んでいます。


でもそれは、東ドイツにおいてそうであったように、ぼくたち市民一人一人に大きく依存していると思います。


(2013年7月1日、J ・ O)
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