2014年5月28日掲載 − HOME − エネルギー・インタビュー一覧 − インタビュー
インタビュー:
ジルヴィア ・ コッティング ・ ウール(3)

緑の党 ・ 90年同盟国会議員団原子力政策責任担当議員
Q:ドイツでフクシマ後に設置された倫理委員会はどういう機能を果たしたのか

メルケル首相はフクシマ事故後すぐに、原子力の利用を続けるに当たってモラトリアム(猶予期間)が必要だといった。(前年10月に)脱原発を見直したからだ。それで、そのモラリアムの期間に倫理委員会を設置した。

倫理委員会は原子力に関して原子力に関するすべての知見、過去の事故、大きな故障、原子力から徹底した場合のコスト、撤退する場合の期間、代替エネルギーを築くまでの期間、送電網の問題など、すべての難題を抽出して評価し、議論した。

その結果、原子力から撤退したほうが社会のためになるとの結論を出した。電気料金への影響、再生可能エネルギーの拡大、新しい送電線による景観への影響、もちろんその場合影響を受ける地元住民は賛成しないが、これらすべての面について倫理委員会が評価し、その結果、全会一致でドイツ政府に対して脱原発を答申するという結論に達した。


Q:倫理委員会はそこまでに至るプロセスにおいて必要だったのか

私は、メルケル首相はその前にはっきりと脱原発を決断していたと思う。市民の80、90%が原子力に反対だからだ。

メルケル首相は政治家として再選を望んでいた。そのためには、脱原発を実施したほうがいいと考えていたのは確かだ。彼女は物理学を専攻していたわけだから、(脱原発を決定するのは)簡単なことではなかったと思う。

ただ、(脱原発に)反対する意見に対してその正当性をはっきりさせる必要があった。脱原発か、原発継続かの問題において倫理面を高く評価するため、倫理委員会を設置した。高等化する社会においては、倫理問題は常に付きまとう問題だからだ。

それで、倫理委員会に審議し、政府にアドバイスしてほしいということにした。首相は、倫理委員会が決定したことをそのまま実行するとはいわなかったが、答申してほしいといったのだ。

それで、倫理委員会は脱原発を答申した。


Q:そうすると、脱原発を決めるには、日本でも市民の圧力が必要なのか

そうだ。だが、日本人は(ドイツ人とは)ちょっと違う。

ドイツでは、市民がデモに参加するのは普通のことだが、日本人にとってそれはちょっと普通ではない。今日本でどれだけの人がデモに参加しているかを見ると、どれだけ日本社会が変わったか、自分たちの意見を伝えるために市民が勇気を持ち出したかと驚いている。

でも、ドイツで市民があれほど大きな圧力を政府にかけたようになるには、日本ではまだ数年かかるのではないか。政府のほうがその前に(脱原発を)決定するのではないかと思う。


Q:ということは、フクシマ事故が日本社会を変えたと。

(日本社会は)もうすでに少し変わったと思う。事故がまだまだ終わっていない。5年経っても終わったわけではない。(原発周辺には)もう住めないということが意識されるまでには、まだ時間がかかる。

まず津波による災害がたくさんの人に苦悩をもたらしたが、長期的な損害、影響が原発事故によるものだということが意識されるまでにはまだまだ時間がかかる。津波の災害よりももっと被害を受けるということをだ。

長期的に見ると、現政権ないし次の政権が脱原発するとはっきりと決断できないと、日本の市民が自分たちの(脱原発の)考えをはっきりと主張しだすと思う。

(フクシマ後)日本を訪問したが、そこで日本がどう変化しているかを見た。日本市民が政治が何もしないと、自分たちで考えて自分の意見を主張し出しているのを見た。そういう傾向が強くなると思う。


Q:チェルノブイリ事故後、ドイツ社会も変わったのか

そうだ。大きく変わった。

チェルノブイリ事故はドイツの最初の脱原発のきっかけだった。それ以前は、ドイツには(国会で)原子炉安全について審議する環境委員会というものもなかった。

ドイツ人はチェルノブイリ事故後(原子力に対して)たいへん敏感になった。事故の影響もあった。

私自身、当時小さなこどもを抱え、こどもたちを外で遊ばせなかった。新鮮な野菜、サラダも食べることができなかった。牛乳も飲めなかった。そうしたことが、当時若い母親たちに大きな影響を与えた。

それによって、ドイツ人は変わった。


(議員会館議員事務所でインタビュー)
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