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2014年8月09日掲載 − 脱原発 ・ 自然エネルギー
インタビュー:
Dr. ロゼリー ・ ポルドラク(1)

医師、東ドイツのグライフスヴァルト原発に反対、現在メクレンブルク・フォアポムメルン州衛生管理オンブズウーマン
Q:当時東ドイツにおいて、原発に関して何か活動はできたのか

(東独で)民主化運動の起こった89年に、グライフスヴァルト原発で何か起こっているのか疑問に思った。医師仲間とグループを立ち上げ、グライフスヴァルト原発で何が起こっているのか情報を得ようとした。

そして、民主化の波がきた。


Q:当時、医師として働いてた?

病院で、医師として働いていた。4人の子どもがいた。

その後、役所に移って衛生関係の仕事をしている。


Q:原発に疑問を持ったのは小さな子どもがいたからか

チェルノブイリ事故が影響を与えた。それで、自分のところではどうなのかと疑問に思った。

だが、情報がなかった。

特に医師としては、低線量が危険なのかどうか、その影響が気になった。


Q:当時、すでに健康障害が見られたのか

原発内には独自の健康管理システムがあったが、一切情報は外に出なかった。

ただ原発職員の間では、高線量で被曝していた者がいたことが知られていた。しかしそれに関しても、情報は一切出てこなかった。


Q:ということは、市民には情報がなかった

そうだ。

さらに、原発の煙突から放射性物質が放出されていないのか、汚染を伴う事故がなかったのかなど、情報は一切なかった。


Q:市民は当時から、原発に対して心配していたのか

グライフスヴァルトでは、誰も心配していなかった。たくさんの市民が原発で働いていたからだ。

原発と(原子炉)建設現場全体で、1万2000人が働いていた。その家族を入れると、全体で4万人。こういう関係者は心配していなかった。

事故が起こっていないのか、影響はないのかなどと心配していたのはごく少数だ。

しかしどの国でも同じように、市民は安全だといって慰められてきた。


Q:原発のことを心配していたのはどれくらい?

ほんの少数だった。

しかし、今もそうだ。たくさんの人が、今も原子力を安全に利用できると信じている。

チェルノブイリやフクシマ、アメリカで事故があろうが、自分のところでは事故はないと思っている。


Q:でも(当時の独裁体制で)、反対グループをつくれたのか

(原発に対して)批判的に見ている医師が、何が起こっているのか知りたいと集まった。

その後89年秋に、原発技術者の一人が内部告発してくれた。それで、どうなっているのか結構わかった。

わたしは(東独民主化後の)90年2月に、IAEA(国際原子力機関)の委託を受けて独立監視者となった。それで、原発に関して情報を得ることができるようになった。

その時はじめて、東独時代に事故があったことを知った。


(グライフスヴァルトのロゼリーさん自宅でインタビュー)
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