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2017年3月13日掲載 − 脱原発・自然エネルギー − エネルギー選択宣言
はじめに

2008年夏のことでした。ぼくは長崎から薩摩川内に向かうため、鹿児島に向かうバスに同乗させてもらっていました。バスには、長崎で開かれた原水禁国際大会に参加した一行が乗っていました。道中、一人の男性がぼくの座っている席にきます。男性は、自分の父親は被爆者だといいました。男性には、父親を被爆させた原子力を許すことができません。「原子力で発電された電力は、使いたくない」と、話します。


電話は、電気なしで使えるアナログ式の古い電話器を使っています。もちろん、留守電機能はありません。パソコンはもちろんのこと、電気冷蔵庫もありません。どうしても必要な時は、氷を入れて使う昔の古い冷蔵庫を使います。テレビやラジオどころか、夜は電灯もありません。電気釜はなく、ガスでごはんを炊きます。


男性は21世紀になっても、電気を使わない生活を実践していました。それでも、十分に生活が成り立っていると語ってくれました。


ぼくは、もう30年以上もドイツで生活しています。ドイツでは1998年、電力の小売りが自由化されました。その時から、ぼくは再生可能エネルギーで発電されたグリーン電力だけを供給してもらっています。日本もドイツのようになれば、この男性は原子力ではなく、再生可能エネルギーで発電された電力を供給してもらえるはずです。


男性が電気冷蔵庫で冷やした冷たいビールを飲む。パソコンやスマートフォンでネット検索する。電子メールを送る。テレビでナイターを観戦する。電気スタンドで、夜遅くまで読書をする。電気で、いろいろなことが可能になります。


それによって、男性の生活が豊かになるとは限りません。でも、最低限ぼくと同じように電気を使う生活ができるようになるのではないかと思いました。


ドイツで電力の小売りが自由化された時、たくさんの電力商品が登場します。電力商品がエネルギー源で区別されていました。消費者はその中から、自分の希望に応じた電力商品を選択することができます。大きく分けると、従来と同じように火力と原子力で発電された電力、火力だけで発電された電力、再生可能エネルギーだけで発電されたグリーン電力でした。基本料金や契約期間も、商品によって異なりました。ぼくは、割高でしたが、再生可能エネルギーだけの電力商品を選びました。


2011年3月、日本では東日本大震災の影響で東京電力福島第一原子力発電所において炉心がメルトダウンし、水素爆発が起こります。日本にあるすべての原子炉が停止されました。原子力で発電された電力はなくなります。でも男性の暮らす九州では、2015年8月に川内原発一号機が再稼働します。2カ月後の10月には、二号機も再稼働しました。川内原発を運転する九州電力は、原子力で発電された電力を再び九州全土に供給しはじめます。


2016年4月1日、日本でも電力の小売りが全面的に自由化されます。消費者は、電力を供給してくれる小売事業者を選べるようになりました。消費者はようやく、大手電力会社に都合がいいだけの計画経済的な電力市場から解放されたのです。


しかし日本の消費者には、電力を発電するエネルギー源を選択するのが依然として難しくなっています。石炭や石油、ガスの化石燃料なのか、原子力なのか。それとも、再生可能エネルギーなのか。消費者には、供給される電力の電源が知らされません。消費者が電源を選択する権利は無視され、電気がこれまで通り電線から強制的に送られてきます。


日本の送電網(系統)にも、再生可能エネルギーで発電されたグルーン電力が流れています。再生可能エネルギーに特化した小売事業者も登場しました。もし男性に電源を選択することができたら、男性は原子力から解放され、電気を使う生活ができるはずです。


ぼくは、消費者が電力のエネルギー源を知って、電源から電気を選択するのは消費者としての当然の権利だと思います。それが、消費者の主権です。それにも関わらず、電力を供給する側が電源構成を開示しないで電源を選択する消費者の主権を奪うのであれば、電力市場は完全に自由化されたことにはなりません。供給側だけに都合のいい勝手な自由化にすぎません。


この状況では、従来の火力や原子力に対して新しい再生可能エネルギーが生き残れるチャンスはありません。これまで電力を供給してきた大手電力会社間で、価格競争が激化するだけの話です。


再生可能エネルギーは現在、発展途上にあるエネルギー源です。発展途上中に補助され、すでに長年定着している他のエネルギー源と同じ条件で競争することはできません。保護されてはじめて、公平な競争が可能となります。


従来の有限な化石燃料やウラン燃料と異なり、再生可能エネルギーには無限で、環境を汚染しないという価値があります。その価値が区別されず、選択もできないとあっては、戦わずして負けるのと変わりません。再生可能エネルギーを潰すだけの自由化政策といわなければなりません。


日本では九州電力の川内原発に続き、2016年1月と2月に関西電力の高浜原発の3号機と4号機が再稼働されました。高浜原発はその後の3月、裁判所の判決で運転停止を余儀なくされます(4号機は、その前に緊急停止)。2016年8月には、四国電力の伊方原発でも3号機が再稼働されました。川内原発の原子炉二基は、2016年10月と12月に定期検査のために一旦停止されます。


川内原発のある鹿児島県の三反園新知事は2016年7月、原発の安全性の再点検を求め、原子炉の一時停止を公約して初当選しました。しかし同知事は、知事の権限に限界を感じて公約を断念。再稼働を容認する事態になりました。現状では日本全体で政治が変わらない限り、原子力発電所が次々と再稼働していくことが予想されます。


小売りが自由化された現在、北海道の消費者であっても九州電力と電力供給契約を結ぶことができます。九州と北海道では電力の周波数が違い、送電ロスもあるので、実際に九州で発電された電力が北海道まで送電されるわけではありません。でも九州電力と契約すれば、名目上九州において原子力発電された電力も供給されることになります。


原子炉の再稼働が続いていけば、原子力で発電された電力の供給量が増えます。「再稼働反対」とデモを続けても、この現実から逃れることはできません。 ぼくはそこに、デモの無力さのようなものを感じざるを得ません。デモを否定しているわけではありません。たくさんの市民がデモに参加していけば、政治を変える大きな力になると思います。でも現在、日本で原発反対の声がそこまで大きな力になる可能性はありません。


すでに述べたように、電力の小売りが全面自由化されても日本では消費者が電源を自由に選択することができません。でも、自分の使う電力は自分で選択したい、あるいは原子力で発電された電力だけはゴメンだという消費者もいるはずです。デモに参加するだけではなく、暮らしの中において原子力で発電された電力を使わないようにすることはできないでしょうか。


エネルギー源が何であろうと、強制的に供給されてくる電力。でも、暮らしの中でエネルギー源を選択しながら、その強制から少しでも逃れる術があるはずです。消費者として自分の希望を満たすためには、暮らしの中で何かできることを実行しなければなりません。


ぼくたちが使うエネルギーは、電気だけではありません。暖房や冷房、給湯のために必要となる熱、自動車や鉄道など交通手段に必要となる動力燃料など、いろいろなエネルギーがぼくたちの生活と密接に関わっています。電気に限らず、暮らしの中においてぼくたちがすべてのエネルギーとどう向き合い、エネルギーをどう選択していくべきなのか。ぼくはこの本で、暮らしの中から考えたいと思います。


エネルギーを選択するとは、エネルギーが環境や社会、次の世代に与える影響を選択することでもあります。その影響に対しては、ぼくたち現代人にも責任があります。ぼくたちは消費者として、それを自覚したいと思います。


この連載が、そのきっかけになればと思います。


(2017年3月13日掲載)

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