伝統の料理がなくなる。。。

 ベルリンには、「ゾールアイ」というドイツの伝統的な保存食がある。「ゾール」は塩のことで、「アイ」は卵。要は、塩漬け卵のことだ。

 作り方はこうだ。まず、ゆで卵を作る。できあがったら、まだ熱いうちに卵の殻をスプーンなどで軽くたたいて割っておく。殻はむいてはならない。次に、食塩水の入った口の大きな保存用瓶にゆで卵を浸す。食塩水には塩だけでなく、胡椒の実、玉ねぎのぶつ切りなどを薬味として入れておく。酢を少々入れてもいいという。

 この状態で約1週間、卵を漬けた状態にしておく。卵の殻を割っておいたのは、食塩水を中まで染み込ませるためだ。

 それから約1週間。塩漬けのゆで卵ができあがる。食べる分だけ卵を瓶から取り出そう。残りは、そのまま漬けておく。次に食べるときに取り出せばいい。

ゾールアイを食べるには、たくさんの”道具”が必要だ。

 塩のおかけで卵の身が固くなって、食べごろになっている。殻もはがれやすくなっている。しかし、ここで殻をむいてはならない。まず、ナイフで殻ごと縦、つまり長手方向に卵を半分に切る。おいしそうな黄身が出てくるはずだ。ここでむやみやたらにすぐに卵をほお張ろうとしては駄目。これからが、この料理の神髄だ。

 小さなスプーンで黄身だけを取り出そう。あっ、駄目、駄目。それをそのまま口にもっていってはならない。

 黄身は最後に使うから、横にそっと置いておく。白身には、黄身のあった丸いくぼみが残っているはずだ。そのくぼみに、マスタードを少し入れる。次に、サラダ油と酢を少々入れてやろう。あまり欲張って入れると、あふれ出てしまうので注意が必要だ。お好みで塩、胡椒を少々ふりかける。最後に、黄身を元のくぼみに戻してやれば、できあがり。

卵を長手方向に切ると、おいしそうな黄身が現れる。

 サラダ油と酢が黄身の重みで、ドロッと白身の表面にはみ出してくるはずだ。

 さあ、食べよう。今度は、大きなスプーンでその先端を卵の殻と白身の間に入れて、少し押し込んでやる。すると、白身が殻からスポッと抜けてしまうはずだ。それをまるごと一目散に口まで運べばいい。咀嚼するごとに、マスタードとサラダ油、酢が微妙にミックスされる。前歯が身の締まった白身を切り刻んでいく感触は、何ともいえず快感だ。

 マスタードとサラダ油、酢を入れるのが基本だが、それにこだわる必要もない。小生が食べたときは、ウォッカやウイスキーも入れてみたが、これもなかなかいける。ケチャップやマヨネーズ、タバスコなどを混ぜるのも乙である。

 これは、決してゲテモノ料理ではない。元は保存食であったようだが、れっきとしたドイツの伝統料理なのだ。昔は、ベルリンの飲み屋に必ずといっていいほどあったという。居酒屋料理なのだ。しかし、今はもうゾールアイを用意している飲み屋はほとんどない。

 ぼくにゾールアイを紹介してくれたのは、いきつけの飲み屋のマスターである。彼曰く、「ゾールアイを食べれば、飲み過ぎてもまたビールはぐいぐい進む。二日酔いにもならないよ」と誇らしげだった。

 ぼくは閉店時間を過ぎてもゾールアイに夢中になって、マスターたちと一緒に残りをすべて平らげてしまった。ぼくはウォッカを入れるのが気に入ったが、マスターはウイスキーがいいという。

 でもマスターのところには、いつもゾールアイがあるというわけではない。無くなるごとに、彼自身がまた準備しているのだ。次のゾールアイができあがるまで、最低一週間くらいはじっと我慢して待っていなければならない。

 ある時、ぼくが今度はいつゾールアイが食べられるのかと聞いたところ、マスターは来週だと答えてくれた。それを聞いたドイツ人の客は「えっ、ゾールアイがあるって?」とびっくり。マスターが「ええ、ゾールアイありますよ」と誇らしげに答える姿が、今も印象に残っている。

 でも、そのお店はもうなくなってしまった。今ベルリンでは、モダンでシャレたお店がブーム。伝統的な飲み屋が次から次になくなっていく。寂しい限りだ。

(2017年9月20日、まさお)

初出:読売新聞欧州版1994年2月4日のリレーエッセイ、今回修正。

この記事をシェア、ブックマークする

 Leave a Comment

All input areas are required. Your e-mail address will not be made public.

Please check the contents before sending.