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砂地の植物

ヒッデンゼーは、エリカが群生する自然保護地区でもある。エリカは砂地など荒地に生息する低木で、秋になるとピンク色などの花を咲かせる。

エリカ以外にも、砂地特有の珍しい植物がたくさんあり、ヒッデンゼーは植物の宝庫だ。ちょっと草原に足を踏み入れただけで、写真のようにまったく見たことのないきれいな植物に遭遇する。 (2013年11月26日)

ヒッポフェア

ヒッデンゼーは、自然の宝庫だ。平坦な浜辺から起伏の激しい小山まで、小さな島全体に何でもあるという感じだ。

普段めったに見ることのできない植物もある。その一つがヒッポフェアといわれるグミ科の低木だ。枝には刺があり、秋になるとオレンジ色の実がなる。

オレンジ色の実はジャムにしたり、強いアルコール飲料にしたりする。

果実茶もあって、寒い日に強いアルコールを入れて飲む熱いヒッポフェア茶は最高にからだが暖まる。 (2013年11月14日)

馬車

車のない島ヒッデンゼーでは、馬車が貴重な移動手段だ。島の中心フィッテの船着き場では、馬車が船で着く保養客を待っている。

また船着き場のあちこちに、小型のリヤカーがたくさん放置されている。

これは、船で着いた保養客がトランクなどの荷物を載せて運ぶためのものだ。保養客はまず、自分の宿泊するホテルやペンション、アポートの名前の入ったリヤカーを探す。

馬車を利用しなければ、保養客はリヤカーを押して目的の宿泊先まで歩くしかない。 (2013年10月21日)

島の灯台

ドイツ北東部、バルト海にある小さな島ヒッデンゼーは、昔から高級保養地だった。

文豪、芸術家の別荘もあった。ノーベル文学賞を受賞したゲルハルト・ハウプトマンもヒッデンゼーを愛し、島の墓地に埋葬されている。

島では、原則として車の使用が禁止され、移動は徒歩か自転車、馬車が中心。それ以外は、平日だけ2時間に1本動く小型バスしかない。

それだけでも、生活のテンポが遅くなり、ゆったりした日々を過ごすことができる。

島までは、ベルリンから鉄道とバス、船で6時間ほどかかる。

島は今、ベルリン市民の絶好の保養地と化している。 (2013年10月14日)

墓石

これは、何だろう?

実は、べルリン郊外にある墓地で見つけた墓石だ。それも、1920年に設置されたものだ。

デザインしたのは、マックス・タウトという建築家だ。日本でもよく知られている建築家ブルーノ・タウトの弟だ。

墓石は、表現主義時代を示す最も意義のある墓石の一つといわれる。

お墓には、ユリウス・ヴィッシンガーという商人が眠っている。 (2013年9月15日)

消防車

べルリン西部のノイケルン地区を歩いていて、偶然、消防署の前で消防自動車のオールドタイマーがトラックから降ろされているのに出くわした。

べルリンではこの時期になると毎年、政府機関の「オープン・ドア・デー」が開催される。

その他にも、博物館、美術館を深夜まで公開する「博物館ロング・ナイト」などの催し物も続く。

この消防自動車オールドタイーマーは、そうした催し物のために持ってこられたものと思われる。 (2013年9月4日)

野生リンゴ

べルリン郊外に行くと、農道など小道の両側には、野生のリンゴがたくさん生育していて、りんごの並木道のようになっている。

週末に行ったべルリン東部のファルケンベルク地区では、りんごがもう赤く色づきはじめていた。

りんごの木の下に入ると、プーンとリンゴの香りが漂っている。

肥料なしに育った野生のりんごは、お世辞にも甘いとはいえない。渋みもたっぷりある。

でも、口一杯にほうばったりんごからは、溢れんばかりの自然が感じられる。 (2013年8月26日)

壁の日

52年前の1961年8月13日、東西べルリンに壁が建設されはじめ、東西べルリンの行き来が封鎖された。

あれから、28年余りに渡って東西べルリンは封鎖されていた。

その間べルリンの壁では、東側から西側に逃れようとする市民が東ドイツ当局の暴力の犠牲となった。

ドイツ連邦議会議事堂近くにあるべルリンの壁犠牲者慰霊碑では、8月13日になると、犠牲を追悼するため、今もこうして献花されている。 (2013年8月19日)

水遊び

べルリンでは、まだまだ暑い日が続いている。

こう暑いと、暑いことに準備のできていないところではたいへんだ。食事も、冷たく食べることができるのは、サラダくらいしかない。

ビールを飲めばいいかとも思うが、暑い日にアルコールを飲むのはむしろ逆効果。写真のように、水遊びが一番か。

今週中頃から少し涼しくなるという。

ホッ!! (2013年8月6日)

暑い日

この週末は、たいへん暑かった。

べルリンでは、28日日曜日の最高気温は34度。40度近くになるという予報だったので、それでもましかというところ。

べルリンで困るのは、暑いことに慣れていないことだ。だから、暑さに対して準備がされていない。

ここ数年前からようやく一部で冷房付きのトラムや路線バスが出てきたものの、電車、地下鉄に冷房はない。だから暑い日は、公共交通機関ではサウナに入ったようになる。

公共の建物やレストラン、カフェなどでも、冷房のないところが多い。

だから暑さをしのぐには、水辺にいくか、公園で日陰を探すのがいい。 (2013年7月29日)

テーマ年の展示

ナチスが政権を握って、今年で80年となる。

ナチス時代の過去を忘れないようにするため、べルリンでは「テーマ年」として、街全体で当時の過去を警告するプロジェクトが各地で行われている。

写真は、ナチスに迫害された作家、音楽家、画家など芸術家のポートレートを描いた屋外展示場の写真。べルリン全体で、200人の芸術家のポートレートが紹介されている。

これまで知られていなかった無名の芸術家の写真も、たくさん並んでいる。 (2013年7月22日)

池の浜

べルリンには、海がない。内陸に立地しているからだ。

それに対して、べルリンにはたくさんの川や運河が流れ、池や湖もたくさんある。

池や湖の畔には、伝統的に人工の浜や水浴場がつくられている。最近では、川の畔にも人工浜ができ、市民の憩いの場となっている。

写真は、ヴァイセンゼーのという池の畔の浜。約130年も前からあるという。1904年のオリンピックでは、この水浴場で練習したゲオルク・ツァハリアスが400メートル平泳ぎで金メダルを取った。 (2013年7月15日)

世紀の足取り

これは、旧東ドイツの作家ヴォルフガング・マットホイアーの「世紀の足取り(Jahrhundertschritt)」という作品。

右手はヒットラーへの敬礼を、左手は労働者の拳を意味する。ファシズムと社会主義時代の独裁体制を、人類が体験しなければならなかったということだ。そして胸がはち切れんばかりになっているのは、独裁体制が人間を破壊しようとしてきたことを象徴している。

からだ全体に対して、頭が小さくなっているのは、ファシズムと社会主義が個人よりも全体を優先させ、人間の自由な考えを抑圧してきたからだ。

裸の右足は、一般市民だ。左の足には、兵隊の長靴がはかされている。市民が悲惨な戦争を体験しかければならなかったということだ。

歩幅が広く、足取りには安定感がない。これは、ファシズム、社会主義、経済大国化など、ドイツが20世紀に体験した危うさを意味している。

作品は、過去から現代の社会と個人に警告しているのではないだろうか。誇大妄想によって、自分を課題評価してはならないと。 (2013年7月8日)

写真例

新バージョンは、2年以上も前の写真で再出発!

写真は、2011年3月26日にベルリンであった反原発デモで撮影したもの。

この日、ドイツでは全国で25万人の市民が反原発デモに参加。ドイツの40年の反原発運動史上最大のデモとなった。

ドイツはその3ヶ月後に、脱原発政策の見直しを撤回し、脱原発を政治決定した。 (2013年7月1日)

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