2018年7月21日更新
ベルリーナールフト

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クリスマスマーケット

べルリンでは、クリスマスシーズンたけなわ。各地で、クリスマスマーケットがオープンした。

ベルリンのアレキサンダー広場近くには、写真のような大きなメリーゴーランドが2つ登場。たくさんの人でにぎわっている。

この時期になると、お店も日曜日になると例外として開店できるようになる。今日7日は午後だけお店がオープンする。
 (2014年12月07日)

風船の壁

べルリンでは壁崩壊25年となる11月9日を前に、元壁のあった位置に風船でイメージ壁が造られた。

風船は、25年前に一番最初に国境の門が開けられたボーンホーム通り国境検問所のあったボーンホーム橋からブランデンブルク門、ポツダム広場、イーストサイドギャラリーを通ってオーバーバウム橋まで約15キロメートル続く。

暗くなると、風船は白く光るようになっている。

11月9日夜になると、風船は壁が崩壊したかのように、民主主義の願いを込めて夜空に解き放される。
 (2014年11月09日)

壁犠牲者顔

べルリンでは、ベルリンの壁崩壊25年となる11月9日に向けて、いろいろな催し物がはじまった。

写真は、ベルリンの壁で死亡した犠牲者の顔のオブジェ。ドイツ国会図書館内で展示されている。ガラス越しにも、その他のたくさんのオブジェが見える。

11月9日当日も、いろいろな催し物が企画されている。
 (2014年10月23日)

ライプツィヒデモ

ドイツ東部のライプツィヒでは、今から25年前の10月9日の夕方、7万人のデモが行われた。それが、一ヶ月後にベルリンの壁が崩壊するひとつの大きなインパクトとなる。

ライプツィヒ市民は、東ドイツ政府当局に弾圧されて死者、負傷が出るのではないかと心配を抱きながら、ロウソクを灯してデモに出た。ロウソクの火が消えないようにするには、手をかざして炎を守るしなかい。両手がふさがっていたということだ。それは、暴力を使わないということでもあった。

デモは流血することなく、平和裡に終わった。

あれから25年後の10月9日、ライプツィヒでは再びたくさんのロウソクが灯された。市民は、当時を思い出しながらデモに出た。
 (2014年10月10日)

ベルリンのビール工場

べルリンには4、5種のビールがある。そのビールはすべて写真の醸造工場で生産されている。麦芽とポップの種類を変えたり、その調合具合を変えたりして、味の違うビールを造るのだという。

ドイツのビールは、1516年に制定されたビール純粋令にしたがって醸造されなければならない。水と麦芽、ホップ以外の原料がビールにはいっていてはビールとはならない。

日本のビールのように、米やコーンがビールに入っているものは、ドイツではビールではない。

その伝統が500年近く守られている。
 (2014年10月04日)

T4記念碑

2日、べルリンではナチス時代のT4計画の過去を伝える記念碑が、ベルリンフィルのフィルハーモニー大ホール横にオープンした。

T4計画というのは、ナチス時代に精薄者や精神病者は働き手として使えないとしてガス室で殺害する計画だった。それが、ホロコーストの原型だったともいわれる。

T4というのは、その計画を管理する組織がTiergartenstrasse 4(ティーアガルテン通り4番地)にあったからだ。記念碑は、当時と同じティーアガルテン通り4番地に設置された。

T4計画の組織は、1941年に解体される。しかしその後も各地で計画は独自に実施され、ドイツが無条件降伏した1945年5月8日以降の同年7月まで続いていた。

これ以外にも当時、身体障害児や重病人なども殺害されていたのを忘れてはならない。
 (2014年9月05日)

公園のウサギ

べルリンでは、中心街でも緑のあるところではよくウサギを見かける。写真は、ブランデンブルク門横にある大きな公園ティーアガルテンで撮ったもの。

ティーアガルテンでは、ウサギのほか、リスもよく見かける。

キツネを見かけたこともある。

2011年12月に亡くなられている。
 (2014年8月29日)

元慰安婦デモ
元慰安婦

元慰安婦

元慰安婦のオクソンさんは現在、元慰安婦の実態を知ってもらおうとベルリンに滞在中。その機会に、ベルリンの日本大使館を訪問して面談したいと申し込んだが、英語もドイツ語も日本語もできないからと、変ないいがかりをつけられて面談を断られた。

オクソンさんはその大使館の対応を「馬鹿にされている」と感じ、20日に有志とともに日本大使館前でデモを行った。

オクソンさんは現在86歳。14歳で日本軍に慰安婦として中国に連れていか れ、戦後も中国で生活。2000年に、ようやく韓国に戻ることができた。

1日に40人、50人も相手にさせられたこともあるという。

オクソンさんは、天皇に謝罪してほしいと願っている。 (2014年8月21日)

平和の鐘

ベルリンのフリードリヒスハイン公園では、今年もヒロシマへの原爆投下の日である8月6日に、平和の鐘が鳴り響いた。

広島で被曝した故外林秀人さんの被爆日記の朗読などの後、参列者一人一人が平和の願いを込めて鐘をついた。

故外林秀人さんは、戦後長い間科学者としてベルリンに滞在。晩年になってから生き証人として、ドイツ各地で被爆体験を語るなどしていた。

2011年12月に亡くなられている。
 (2014年8月08日)

反イスラエル攻撃デモ

1日、ベルリンでイスラエル軍によるガザ地区攻撃に反対するデモが行われた。

デモはアレキサンダー広場からブランデンブルク門まで行われ、イスラム系市民を中心に約500人が参加した。

ドイツでは、イスラエル軍攻撃に反対するデモが頻発しており、それが反ユダヤ主義だと危惧されている。しかしデモ隊と一緒にいた限り、1日のデモでは反ユダヤ主義だと思われるシュプレヒコールはなかった。

ベルリンにあるアメリカ・ユダヤ人委員会(AJC)の機関がリストアップした最近の反ユダヤ主義的発言を見ても、ほとんどがイスラエルの攻撃を批判する発言で、反ユダヤ主義と思われる発言はわずかだった。

ホロコーストの過去のあるドイツでは、イスラエル批判は許されないのか。そこに、過去の重荷を背負った今のドイツの問題がある。
 (2014年8月02日)

優勝パレード

今日15日は、飛行機の騒音ではじまった。

サッカーワールドカップ・ブラジル大会で優勝したドイツ代表チームが、凱旋帰国した。選手を載せたジャンボジェットがベルリン ・ テーゲル空港に着陸する前、わが家の上を通りすぎていったのだ。

サポーターの集まるブランデンブルク門前のパブリックビューイングに、その姿を見せるためだった。

帰国した選手一行はその後、ベルリン市内をブランデンブルク門まで優勝パレードする。

選手を載せたトラックがくると、沿道では市民が「オー ・ イスト ・ エス ・ シェーン(ああ、何とすばらしーんだろう)」を合唱していた。
 (2014年7月15日)

桜の花

べルリンはここ数日、30度を超える炎天下。

ボルンホルマー通り駅近くの元東西ベルリンの国境施設の跡には、桜並木がある。桜は花も終わって、葉が青々と茂っている。

その中の桜の木一本が、この暑さにもかかわらず、桜の花を一輪咲かせていた。
 (2014年6月10日)

船デモ

10日、ベルリン首相府の周辺でエネルギー転換政策にブレーキをかけないように求める市民デモがあった。

首相府近くを流れるシュプレー川には、120隻の船やボートが参加。川周辺には約1万2000人の市民が集まった。

エネルギー転換には、脱原発も含まれるのはいうまでもない。脱原発を決めたドイツだが、ドイツではまだ原子炉が9基稼働している。

反原発グループは写真の船のように、船で早期脱原発を求めた。

市民はその後、首相府からメルケル首相のキリスト教民主同盟(CDU)の党本部までデモ行進をした。 (2014年5月11日)

ビスマルク母家

ビスマルク母住む

ベルリン郊外にあるこの家には、鉄血宰相として知られるビスマルクの母が結婚する前の1800年から1806年まで住んでいた。

現在、その一部がカフェとして使われている。

市民有志の力で、この家を修復して保存しようという一つの試みである。 (2014年5月6日)

安倍訪独デモ

デモするドイツ人女性
ドイツ人女性も浴衣で抗議
デモ警官
警官も協力的。後ろは慰安婦の写真

30日、安倍首相がベルリンのドイツ首相府でメルケル首相と会談した。

首相府前にはドイツ人、日本人、韓国人などが集まり、原発政策や慰安婦問題など安倍首相の政治に抗議した。

写真は安倍首相の乗る車がデモ隊の前を通る時のもの。後ろには、「うそつき」と書かれたパネルも見える。 (2014年4月30日)

ライラック

今ベルリンでは、ライラックが満開だ。

ちょっと緑のあるところにいくと、野生のライラックが紫や白の花を咲かせ、辺りに芳香を漂わせている。

残念なのは、花を咲かせている時期が短いこと。

ライラックの花が終わるか終わらないうちに、今度はシャクナゲの花が満開となる。 (2014年4月27日)

外壁画

ベルリンでは、集合住宅のファサード一面に絵が描かれているのをよく見かける。

これは、ベルリンのノイケルン区にあるルーマニアやブルガリアから移民してきたシンティ・ロマ人をドイツ社会に統合する目的で再開発された集合住宅に描かれた絵だ。

集合住宅の一角には、住民の集まることのできる憩いの部屋やこどもたちが一緒に工作できる工作場などが設けられている。

廃墟同然だった集合住宅に入居して邪魔者扱いされていたシンティ・ロマ人。

ベルリンでは、こうして生活の中で差別をなくしていこうという地道なプロジェクトもはじまっている。 (2014年4月22日)

カモメ

ヒッデンゼーの浜辺には、カモメがたくさんたむろしている。写真のカモメはまだ羽が茶色ので、青年カモメだろう。 (2014年4月1日)

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