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ベルリンの寒さと雪は今週に入り、終わってしまった。最高気温は10度近くと、春の気配だ。
雪は、あっという間に消えてしまった。
でも雪の後、街はとても汚れている。滑らないように砂をまいたからだ。
雪が降ると、空気がきれいになり、騒音が吸収される。その分寒くても、生活環境がよくなったと感じる。気持ちが落ち着く。
暖かくなった今、そのギャップに苦しんでいる。あの寒さがなつかしい。
だから今回も、あの寒い時の写真を掲載する。 (2021年2月20日) |
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ベルリンではここ1週間、寒い日が続いている。連日、最低気温は零下10を下回る。日中も零下だ。
ベルリン中心にある公園ティーアガルテンでは、池が凍ってしまった。寒波が続いたことから、氷もかなり厚いと見られる。
最初は慎重だった市民。安全とわかると、氷の上でスケートを楽しむ。
アイスホッケーをする人、フィギアスケートもできる人、ただぐるりと滑る人など。
ベルリンでは、コロナ禍でロックダウンは4カ月目に入った。アイスステーションは閉鎖されている。
天気がいいと、市民にとって最高の憩いの場だ。 (2021年2月13日) |
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ベルリンはここ数週間、天候が不安定。先週末と今週末は雪。珍しく雪が積もった。
コロナ禍のロックダウンで、市民は自宅に閉じこもりがち。雪は、そうした人々の気持ちを外に引きつける。
こどもたちは、公園でそり滑りを楽しむ。あちこちに、雪だるまも見られる。
写真の雪だるまを見てもらいたい。何か気がつかないだろうか。
ドイツでは、雪だるまは3段でつくるのだ。ヨーロッパでも、日本のように2段雪だるまの国もあるらしい。でも、ドイツは3段型。
30年以上もドイツにいて、これまでまったく気づかなかった。 (2021年2月06日) |
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1月27日は、アウシュヴィッツ強制収容所が解放された日。ドイツではこの日が、ナチス犠牲者を追悼する日となっている。
ドイツ連邦議会(下院)議事堂において毎年、追悼式典が行われる。強制収容所生存者などがスピーチをする。
この日、議事堂屋根のドイツ国旗が半旗になっていた。
議事堂近くにあるホロコースト追悼記念施設にいくと、一般市民などが置いたと見られる花やローソクが目立つ。
記念施設には、高さの異なる四角い石がたくさん並んでいる。これは、強制収容所の生活を擬似体験してもらうため。
石の間の狭い通路では若い女性が二人、通路に落ちているゴミ拾いをしていた。 (2021年1月30日) |
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新しく「フンボルトフォーラム」と命名されたベルリン王宮には、まだ入場することができない。コロナ禍で、美術館や博物館などの文化施設が閉鎖されているからだ。
フンボルトフォーラムは現在、オンラインだけでオープンされている。
その展示テーマの一つが、ドイツの植民地主義だ。植民地を支配した国の民族博物館には、植民地時代に”盗んできた”展示品が多いのも事実。フンボルトフォーラムもそうだ。
名目上は、研究目的となっている。でも植民地時代に、現地から許可をもらったとは思えない。許可なく持ってきたものは、元の持ち主に返すのが筋。フンボルトフォーラムのオープンが、”盗品”の返還について議論するきっかけにもなってほしい。
ドイツが植民地時代に”盗んできた”ものの中には、アイヌ人の頭蓋骨もある。
ドイツの植民地主義については、「植民地主義がグローバル化のはしりだった」の記事も参照。 (2021年1月23日) |
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ベルリン王宮の再建で問題になったことの一つは、正面ドームの上の十字架だった。
再建後は、「フンボルトフォーラム」として総合文化施設となる。民芸博物館や東アジア博物館などから世界各国の展示物が移転してくる。宗教上、いろいろな背景を持ったものが展示される。
それを、旧ベルリン王宮に十字架があったからという理由だけで再び十字架を設置していいのか。十字架があっては、展示物に適さない。賛否両論の議論が展開された。
最終的な結論は簡単だった。
ドーム再建の資金を提供したスポンサーが十字架が必要だと主張。だから、十字架をすえることになる。お金が解決したということだ。
2015年6月に撮影した工事現場の写真は、「ベルリン王宮はだかの姿」にまとめてある。 (2021年1月16日) |
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ベルリン王宮が再建された。
元々は、ホーエンツォレ家の居城。プロイセン王、その後はドイツ皇帝の居城だった。第二次大戦終戦直前のベルリン空爆で焼ける。
戦後、焼けた王宮は東ドイツ誕生直後の1950年に爆破、撤去された。跡地に、東ドイツの国会議事堂となる共和国宮殿が建設される。
東西ドイツ統一後、共和国宮殿のアスベスト汚染が発覚し、取り壊される。その後、ベルリン王宮の再建話が持ち上がるが、賛否両論の意見があった。
最終的には2007年、連邦議会によって外壁を再現して博物館などの総合文化施設「フンボルトフォーラム」として再建されることが決定された。
2015年6月に撮影した工事現場の写真は、「ベルリン王宮はだかの姿」にまとめてある。 (2021年1月09日) |
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ベルリンの元旦は、コロナ禍ではじまった。
ブランデンブルク門では、大晦日のパーティも元旦へのカウントダウン後に打ち上げられる恒例の花火も中止。花火の販売も禁止され、市内では花火禁止地区も規定された。
それでも元旦になると、花火が打ち上げられ、バンバンとかなりの音がしていた。でも例年よりは、俄然静かだった。
こちらでは、元旦に初散歩をする市民が多い。
コロナ禍では、散歩は不要不急でも認められる外出手段。それだけに、例年になくシュプレー川の畔を初散歩する市民も多かった。
2021年元旦のベルリン。 (2021年1月02日) |
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