ストリートサッカーのプロジェクトは、南米コロンビアで生まれました。
その発端は、1994年のサッカーワールドカップ米国大会です。当時、コロンビア・チームは南米予選でアルゼンチンを下すなど前評判が高かったのですが、予選リーグではスイスに勝ったものの、ルーマニア、米国に負け、予選最下位で決勝トーナメントに進出できないまま敗退してしまいました。その米国戦で敗戦の原因のひとつになったのが、アンドレス・エスコバル選手のオウンゴールでした。そしてエスコバル選手は帰国直後の7月2日に、それが原因で射殺されてしまいます。
当時、コロンビアのメデリンの大学でスポーツ社会学の講師をしていたドイツ人ユルゲン・グリースベックは、毎日のように15人から20人の若者が殺されていくのを目の当たりにし、こうした社会問題を何とか平和に解決できないものかと考えていました。そうして思い付いたのが、どこでも誰にでもできるストリートサッカーによって青少年を暴力から解放して更正できないかというものです。そしてグリースベックは1996年に、メデリンにおいて「平和のためのサッカー」というプロジェクトをはじめ、1年後にはメデリンで500のストリートサッカー・チームが誕生していました。
その後、ストリートサッカー・プロジェクトは、その成果に感心した当時のフォルマー連邦議会(下院)副議長(緑の党)のイニシアチブで、ドイツに逆輸入されることになります。そしてドイツでは2000年に、若者のネオナチ化に対抗する手段として「寛容のためのストリートサッカー」プロジェクトがブランデンブルク州で開始されました。
グリースベックは、2006年のサッカーワールドカップがドイツで開催されることに決定されたのに伴い、「ストリートフットボールワールド」というプロジェクトを開始、それによってストリートサッカー・プロジェクトを普及させるとともに、こうしたサッカーによる社会的なプロジェクトをネットワーク化させていきます。そして現在世界中で、約80のストリートサッカー・プロジェクト/イニシアチブが活動を行なっています。
festival06は、こうしたストリートサッカー・プロジェクト/イニシアチブによって生まれたサッカーチームの世界大会です。
こうした経緯から、festival06はエスコバル選手の命日に開始されます。優勝カップもエスコバル選手をモチーフにして作製され、「アンドレス・エスコバル・カップ」と命名されました。
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