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壁崩壊は、当局の操作だった?
(2009年4月17日)

壁崩壊のきっかけとなったのは、89年11月9日18時から行われた記者会見だった。


その会見に遅れて入ってきたイタリア人記者エーアマンさんが、会見の終わりに突如として、市民の出国を認める旅行法について質問した。


その質問に応えたシャボウスキー政治局員が、手に持っていた用紙を探るようにして、法律が「すぐに」発効すると発言。会見の放送を見た市民が国境検問所に殺到、壁が崩壊したのだった。


シャボウスキー政治局員のこの発言は、実は間違いだったとされ、当局は翌日の10日4時から出国を認める計画だったといわれる。


あれから20年近く経ったが、質問したイタリア人記者エーアマンさんが、中部ドイツ放送の番組に対し、実は事前に当局から変な電話があり、旅行法について知らされ、それについて会見で質問するよう求められていた、と暴露した。


電話してきたのはエーアマンさんと面識のある中央委員会委員で、潜水艦から電話している、といったという。


確かに、当時、旅行法ができたことは関係者以外誰も知らなかったはず。なぜイタリア人記者がそのことを知っていたのかも、謎だった。


シャボウスキー政治局員のメモ用紙には、旅行法の規則を読み上げるように、と書かれていたといわれ、シャボウスキーさんはドイツメディアに対し、エーアマンさんの発言を「そんなバカな」と否認した。


20年近く経った現在も、壁崩壊の経緯には謎が残る。


(2009年4月17日)
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