2019年10月04日掲載 − 小さな革命
統一への復讐(1):東ドイツに対する無知

2018年2月13日は、ドレスデン大空襲の日。ぼくは午前中から、ドレスデンにきていた。空襲体験を記録する市民団体の催し物を取材するためだった。


催し物には、空襲体験者やドレスデン市民、国外からのゲストなど、多数参加していた。催し物の後半では、参加者が小さな円卓に分かれ、円卓毎に与えられた平和に関するテーマでディスカッションをした。


ぼくは1月にドイツ南部のミュンヒェンで「白いバラ」について取材したこともあり、「白いバラ」をテーマとするグループに加わった。白いばらとは、第二次世界大戦中にミュンヒェン大学を中心に行われたナチスに対する抵抗運動のこと。その中心人物だったショル兄弟は、ナチスによって処刑された。


ぼくの参加したテーブルでは、ドイツ西部出身の女性(多分教会系の団体から)が司会をして、ディスカションを進行した。


テーブルには、ドレスデンに住む若者たちと中年の女性2人、その他に東欧からのゲスト夫婦がいた。


ディスカッションももう後半に入った頃だったろうか。「自由」がテーマになった。何をきっかけにそうなったのかは、もう覚えていない。


その時、司会の女性がいきなり、「東ドイツには、(旅行する)自由がなかったのですが、」といった。ぼくは、これはまずいと思った。


やはり、中年の女性2人が司会者に噛み付いた。「わたしたちには、いつでも旅行する自由がありましたよ」


司会者はそれに対して、「西側に旅行することはできなかったでしょう」と反論する。すると、中年の女性の1人が、「今だって十分にお金がないと、どこにもいけないでしょう。それでも自由がありますか。当時は(東ドイツでは)、お金があろうがなかろうが、誰にでも旅行できましたよ」とやり返す。


ちょっと険悪な雰囲気になった。


ぼくは、「東ドイツにいたから、ぼくは知っていますよ。東ドイツ市民は旅行できましたよね」と東ドイツ出身の2人の女性に同調して、2人の怒りを少しでも鎮めようとした。


ディスカッションはその後、ぎくしゃくしてしまう。でも司会者は、何となくまとめたようにしてディスカッションを終えた。


ぼくと東ドイツ出身の女性2人は、そのまま円卓テーブルに座りながら話し込んだ。2人は、催し物の最初にパーフォマーンスをした生徒の父兄だとわかった。ぼくは、東ドイツにいた時の話をしながら、2人とはうまく意気投合することができた。


こういうことは、これまでもよく体験した。東ドイツ出身の市民と話すと、ぼくのほうが西ドイツ出身の市民よりも話がうまく合うのだ。


それは、ぼくが東ドイツ時代の生活と、統一後の東ドイツ出身者のたいへんな苦労を目の当たりに見てきたからだと思う。


それに対して、西ドイツ出身の市民は一般的に、東ドイツが社会主義社会で、独裁体制だったということからしか東ドイツ社会を想像できない。東ドイツ市民が実際にどう生活していたかについてはまったく知らないし、知ろうともしない。東ドイツ社会どころか、東ドイツ市民のことも政治的なイデオロギーからモノクロにしか判断しない。


統一後、すぐに社会主義経済から資本主義経済に替わって、東ドイツ出身の市民がいかにたいへんな思いをしてきたかについても、西ドイツ出身の市民は想像もできないし、わかろうともしない。情報は、西側からの視点でしか報道されないドイツメディアのニュースしかない。だから、東ドイツと統一後の東部ドイツの実態については、何も知らされていない。


それどころか、統一後東部ドイツを財政支援する目的で導入された連帯税が、西部ドイツ市民しか負担していないと思っている市民も多い。もちろん連帯税は、ドイツの全納税者(!)に課税されている。


こういう状況だから、西ドイツ出身の司会者にように振舞ってしまうのだ。司会者は、なぜ東ドイツ出身の市民が怒ったのかも、自分が何ということをいってしまったのかも感づいていなかった。


社会主義と資本主義の2つの体制を体験したぼくからすると、資本主義社会でしか生活していないと、資本主義というイデオロギーに洗脳されている。だからそれ以外の視点では、他のことを見ることができない。その先入観から東ドイツ市民と話をすると、自分では意図していなくても、東ドイツ市民の過去を否定して、傷つけてしまっている場合が多い。でもそれには、まったく気付かない。


壁が崩壊して、まもなく30年になる。でも、これが今の統一ドイツの現実なのだ。


(2019年10月04日)


統一への復讐:
(2)東ドイツ市民に対する不公平 (2019年10月11日)
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