2019年10月25日掲載 − 小さな革命
統一への復讐(4):新しい市場でしかなかった

前回、東ドイツ経済が通貨統合とともに、過激なネオリベラリズムによってバッサリと切り捨てられたと書いた。


これは、西ドイツ経済にとって東ドイツが単に新しい市場としてしか魅力がなかったということだ。東ドイツに西ドイツ企業の競争相手ができては困る。東ドイツがものつくりの地域になってはならなかった。


西ドイツにとって、東ドイツは単に西ドイツ企業の製品を買ってくれる新しい消費地としてしか考えられていなかった。


壁が崩壊して通貨も統一されると、東ドイツ市民はこれまであこがれていた西ドイツ製品を手に入れることができた。誰も、東ドイツ製品を買おうとはしなかった。


東ドイツ市民は、西ドイツ企業にとってありがたいお客さん、いや西ドイツ製品のカモでしかなかった。中古車も、流通価格もよりもバカ高く販売された。それでも、東ドイツ市民はあこがれの西ドイツ車を買い漁った。


当時、西ドイツ経済はかなり停滞していた。統一は、西ドイツ経済にとって救世主であり、西ドイツ経済のカンフル剤となる。


その結果、西ドイツ経済は統一景気となる。当時、世界の景気が停滞していたが、西ドイツ経済だけが世界の経済よりも数年遅れて景気が停滞する。


その間、東ドイツの企業は次々に倒産して、閉鎖されていった。西ドイツ企業は企業を買収しても不動産目当てで、企業を再生させるつもりはなかった。


自分たちで力で、企業を何とか再建しようとした東ドイツの労働者もいた。企業を存続させるため、彼らは労働時間を惜しまず、格安の賃金で働いた。


でも、東ドイツの企業は次から次に消えていった。失業者ばかりが増えていった。


東ドイツの企業は巨大な組織で、企業は労働の場であると同時に、東ドイツ市民の社会生活、文化生活の基盤だったといえる。それが消滅することによって、東ドイツ市民は人とのつながりも、文化生活も失っていった。


ぼくは、東ドイツ社会にとってこれがとても大きな問題だったと思う。


だが、統一の最大の問題は、東ドイツ市民がどうして生活の糧を稼いでいくべきなのか、誰も考えなかったことだ。これは、西ドイツ中心に統一が行われ、西ドイツのエゴが強く出たからだった。東ドイツ市民がどう生活していくべきなのかまでは、十分に配慮されなかった。


それも、過激なネオリベラリズムだったといってしまえば、それまでだ。


政治がこの問題に気づくまでには、統一後10年近くかかったと思う。そこでようやく、東ドイツにも産業が必要なことに気づいた。しかしその時は、もう遅かった。


東ドイツの労働者たちも後で、どうして自分たちだけが失業しなければならなかったのだと疑問に思うようになる。


西ドイツで大きな企業が倒産しそうになると、政府が支援するではないか。金融危機の時、たくさんの税金を投入して金融機関を救ったではないか。


でも、どうして東ドイツの労働者だけが保護されず、失業を強いられたのか。


そこには、東西の間に公平さはない。


(2019年10月25日)


統一への復讐:
(1)東ドイツに対する無知 (2019年10月04日)
(2)東ドイツ市民に対する不公平 (2019年10月11日)
(3)西ドイツ主導の通貨統一 (2019年10月18日)
(5)憲法も人材も西側から (2019年11月01日)
(6)右傾化するドイツ東部 (2019年11月08日)
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