2020年3月28日掲載 − 小さな革命
新型コロナで東ドイツ疑似体験

ドイツでは今、新型コロナの流行で社会生活が制限されている。


学校が休校になっている。レストランやカフェ、お店は、閉鎖されている。生活に最低限必要な食料品、薬などを販売するお店しか営業していない。


外出も、スーパーや医師、薬屋、ドラグストア、銀行、郵便局へ行く以外は自粛する。仕事はできるだけホームオフィスで処理し、それが不可能な場合しか外出しない。


散歩やジョギングは認められる。ただ、家族と一緒に散歩する以外は、一人か二人ででしか散歩してはいけない。二人の場合、最低1.5メートルの間隔を空けて歩く。スーパーの前やレジで、行列をつくる時も1.5メートルの間隔を空ける


違反すると、州によっては罰金を課せられるところもある。


スーパーでも入場制限がある。店内にたくさんの人が入らないようにするためだ。だから、前に行列ができる。


これの対策は、新型コロナの拡大を押させるためだ。人と人が接触するのを回避するのだ。


スーパーでは、トイレットペーパーやスパゲッティなどのパスタ、小麦粉、牛乳などが品切れで、棚に並んでいない。品不足なのではない。消費者がまとめ買いするので、商品の搬入、棚並べが追いつかないという。


あるドラグストアの店員は、トイレットペーパーは毎朝開店して、5分でなくなってしまうといっていた。


市民は新型コロナのおかげで、こうして社会生活を制限され、自由を失っている。品不足も体験している。


社会主義体制下の東ドイツで生活したことのあるぼくにとっては、こうした現状は、ああ東ドイツが戻ってきたなあと、ノスタルジックな思いにさせられる。


当時も、お店やレストランの前に長い行列ができた。それを「社会主義待合共同体(Sozialistische Wartegemeinschaft)」といった。今は、「新型コロナ待合共同体(Covid-19-Wartegemeinschaft」か。


品不足も深刻だった。普段の生活のため、必要最低限なものを手に入れるのさえ、たいへんなことがあった。


今、トイレットペーパーがなかなか手に入らない。


東ドイツでは、トイレットペーパーが不足したことはほとんどなかった。でも紙は、硬くてゴワゴワしていた。「社会主義のトイレットペーパーはなぜ硬いのか?それは、??の穴まで赤くするためよ」という政治風刺小話もあった。


当時、トイレットペーパーがなければ、新聞紙を使えばよかった。でも、一面は写真などが多いので、印刷のインクが多い。それは、??の穴によくない。インクを避けるため、できるだけ写真の少ないページを使う。それを揉みほぐして使えばいい。そのゴワゴワ加減は、実際のトイレットペーパーとそれほど変わらなかった。


不自由や品不足なら、自分で考えて代わりになるものを自分でつくる。あるいは、直す。それが、不自由と品不足の下で生きる鉄則だった。


今、マスクがない。それなら、自分でハンカチなどで縫えばいい。


各地でこれまでに、買い物にいけない高齢者などを支援する若者のグループができている。若者たちが、代わりに買い物に行ってくれるのだ。これは、困った時はお互いに助け合うということだ。


東ドイツの時代も、まさしくそうだった。不自由と品不足を補うものは、人と人の助け合いしかない。困った時には、助け合う、共生する。それも、社会主義下の生活で生きる鉄則だった。


ぼくたちは、社会生活が便利になって、助け合うことや、共生することを忘れていなかっただろうか。新型コロナのおかげで、社会が今、そのことを思い出すいいきっかけになっていると思う。


新型コロナの嵐が止んでも、助け合いや共生する気持ちが続いてくれることを願いたい。


(2020年3月28日)
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