2020年10月02日掲載 − 小さな革命
東西ドイツ統一30年を思う

明日2020年10月3日で、東西ドイツが統一して30年となる。


30年前、ぼくはドイツ東部ライプツィヒの南西にあるロイナで働いていた。ドイツ化学産業の発祥地だ。10月2日仕事を終えると、同僚数人と一緒に車で2時間近くかけて、統一祝典のあるベルリンに向かった。


ベルリン・ブランデンブルク門周辺は人人人。ぼくが着いた時は、ブランデンブルク門や式典のある帝国議会議事堂前にはもう近づくことができなかった。


10月3日0時に向けて、カウントダウンがはじまる。0時になると、夜空にきれいな花火が何回となく広がった。集まった市民は飛び跳ねたり、互いに抱きあったりして歓声をあげ、統一の喜びをかみしめていた。


ぼくはその時、とても複雑な気持ちだった。東ドイツの独裁体制が倒れ、東西ドイツが統一するのはすばらしいことだ。東ドイツ市民は民主化を求め、自由を勝ち取ったのだ。これで、戦後の冷戦が終わったといってもいい。


でも、資本主義が怒涛の如く侵入する東ドイツ。その状況で、東ドイツ市民はどうなるのだろうか。それを思うと、ぼくの気持ちは暗くならざるを得なかった。


あれから30年が経った。


東西ドイツに国境はない。誰でも自由に、行きたいところに行ける。住みたいところにも住める。スーパーマーケットには、たくさんの品物が並ぶようになった。東ドイツ時代のような物資不足はもうない。道路や街並みは整備され、たいへんきれいになった。一部は、西ドイツよりもきれいになったといっていい。


でも統一後30年経った今も、東西ドイツでは同じ仕事をしても給与に70-80%の差がある。東ドイツの地方では働き盛りの世代が去り、残るのは高齢者ばかり。過疎化が進んでいる。医師不足も深刻だ。


統一後東ドイツでは、たくさんの企業が閉鎖された。失業者が激増する。女性が貴重な労働力だった東ドイツ。統一とともに、たくさんの女性が職を失った。


今東ドイツで、統一後の長期失業者が定年退職年齢に達してきている。定年しても、生活できるだけの年金はもらえない。たとえ統一後に働き続けても、企業を倒産させないために、かなりの低賃金で働いてきた人たちもたくさんいる。定年退職年齢まで一生懸命働いてきたのに、その後給付される年金だけでは生活できない人が増えている。その中には、女性が多い。


ドイツ政府が基礎年金制度を導入して、最低33年間働いた労働者の最低給付年金を規定することにしたのは、こうした東ドイツの状況を考えてのことだった。


統一30年を前にして、統一30年をテーマとしたテレビ番組もいろいろ放映されている。


ぼくにとってその中で、第一チャンネルで放映された「わたしたち東ドイツ市民(Wir Ostdeutsche)」(2020年9月28日放映)というドキュメンタリー番組で、今の気持ちを語った一人の男性のことばがとても印象に残っている。


男性は、ベルント・シュメルツァーさん(1963年生まれ)。統一後も故郷のビショフェローデで暮らしている。


ビショフェローデは、東ドイツの石灰石鉱業のメッカだった。でも統一後に、鉱山の閉鎖が決定される。ベルントさんは同僚とともに、鉱山閉鎖に抗議してハンガーストライキまでした。でも地元に700人の新しい雇用をもたらす工業団地を設置することを条件に、ハンガーストライキを止めた。しかし、その約束は実現されない。ベルントさんはそれが、「単に政治の意思表示に過ぎなかった」と振り返る。


ビショフェローデは現在、東部ドイツ南部のテューリンゲン州に属する。統一前には、その西側に東西ドイツの国境があった。


現在、東ドイツのドレスデンから西ドイツのフランクフルトに向かうアウトーバーン(高速道路)を東から西に走ると、旧東西ドイツの国境を越えた辺りの左右に、石灰石鉱山が広がって見える。ビショフェローデのほぼ西側に当たる位置だ。


統一ドイツにおいて、石灰石鉱山は2つも必要なかった。どちらかを閉山しなければならなかった。強い方が勝つ論理で、西側の石灰石鉱山が生き残る。


職を失ったベルントさんは、新たに職業訓練を受け、機械工の資格を得た。運良くビショフェローデの隣町で機械工として採用され、これまで働いている。


ベルントさんは、ビショフェローデの石灰石鉱山の廃墟となった建物の中に座っている。カメラに向かって、「財布が厚くなった、(所有する)車も大きくなった。ぼくのお腹もね。物が豊かになったということだ」と、大きなビール腹を手でさすってみせる。「でも、幸せだと感じさせてくれた(当時の)仕事と人とのきずなは、もうないんだ。夕方犬を散歩させて歩いても、町にはもう誰もいない」と、考え深い顔をする。


ベルントさんのことばは、統一を体験したたくさんの東ドイツ市民の気持ちを代弁していると思う。


その気持ちを理解するには、当時東ドイツにおいて働くことがどういう意味を持っていたのかを知る必要がある。


社会主義国家の東ドイツにおいて、働くことは生活するすべて、いや生きることのすべてだったといっていい。これは、日本のようにくたくたになるまで働いて、企業につくすということではない。


企業(当時はすべて国営の大企業で、コンビナートと呼ばれた)で働くことは、給与をもらうということだけではなかった。住居があてがわれた。企業の保養施設で休暇をとることができた。劇場やコンサート、その他もの催し物も企業を通してチケットが配布された。職場は、人との触れ合いの場、人間関係を築く場だった。セックスがかなりフリーだった東ドイツでは、性生活さえも職場生活なしには考えられなかったといってもいい。


当時は、生きることに必要なものすべてが、働くことをベースにして成り立っていた。それが、「労働者の国」ということだった。


それが東西ドイツ統一とともに、一夜にして崩壊する。企業は、資本主義の論理に基づいて次から次に閉鎖されていった。これは東ドイツ市民にとって、失業して経済的な基盤を失うということだけではなかった。生活のすべてを失うことだった。社会的な基盤、文化的な基盤が職を失うとともに、崩れてしまったのだ。


西側中心に進められた統一プロセスにおいては、この東ドイツ独特の社会構造がまったく配慮されなかった。人々は救命具もなく、ただ一人広く深い大海に放り出されたといってもいい。


現在数少ない東ドイツ出身の歴史家で、昨年2019年に「吸収ー東ドイツはどうドイツの一部になったのか」という本を出版したイルコサーシャ・コヴァルチュクさんは、この点が統一における根幹の問題だと指摘する。


統一とともに破壊された人間的な生活は、もう取り戻すことはできない。それが「東ドイツはよかったなあ」と、東ドイツへのノスタルジーを生む背景にもなっている。


ぼくは、こうした苦い体験をせざるを得なかった世代がなくなるまで、ドイツは心理的に統一することはできないと思っている。


イルコサーシャさんはいや、もっともっと心理的な格差が続くだろうと予想する。統一世代が、自分のこどもや孫たちの統一後の世代にも東ドイツ時代のよかったことをノスタルジックに語り続けているからだという。


ドイツの統一は、まだまだ完結しないのか。


(2020年10月02日)
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関連資料:
ドイツ政府の2020年東西ドイツ統一状況報告書(ドイツ語)
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