2021年3月01日掲載 − 小さな革命
左翼党内に見えない壁

先月2021年2月26日と27日の両日、ドイツ左翼党の党大会があった。党大会はコロナ禍でこれまで2回延期され、ようやくオンラインで実施された。


オンラインならと、ちょっとのぞいてみようと思った。


党大会では、ベルント・リーキシンガー党首(西ドイツ出身)とカチャ・キッピング党首(東ドイツ出身)の最後のスピーチがあった。2人はそれをもって退任。後任として、スザンネ・ヘンニングヴェルゾウ(43)とジャニーネ・ヴィスラー(39)の2人が選出されることがほぼ決まっていた。後は、党大会で投票決議されるだけだった。


それによって、女性2人が党首となる。ドイツの政党でははじめてのことだ。


スザンネ・ヘンニングヴェルゾウは、元フィギアスケート選手。ドイツ東部テューリンゲン州の州党首、州議会議員団団長だった。昨年2020年2月、テューリンゲン州で極右政党のドイツのための選択肢(AfD)と保守系のキリスト教民主同盟(CDU)の票を得て、自由民主党(FDP)の候補が州首相に選出された。その時、祝福する花束を意図的に新首相の足元に投げ捨てた。それで全国で、一躍注目されるようになる。


政治的には党内でも現実派で、左翼党の政治を実現するには政権に入るべきだとの立場。そのため、平和主義から国外派兵を拒否する左翼党にあって、国連平和軍の枠内での国外派兵は認めるべきだとする。


単に、NATO反対、国外派兵反対とするだけでは、将来的に与党として国政に参加できるチャンスはない。


それに対して、ヤニーネ・ヴィスラーはドイツ西部ヘッセン州の州議会議員団団長で、党本部副党首だった。党内左派に属し、国外派兵は絶対反対の立場。学生時代、極左ブループとして治安当局の監視対象ともなっているトロツキー主義左派グループ、マルクス21に所属していた。


1998年から2005年までの社民党シュレーダー政権時代の後期、ドイツ西部において、ネオリベラル的になった社民党から出た労組の一部が新党を設立する。それが後で、東ドイツ崩壊後に東ドイツの独裁政党の後継となったドイツ東部の左派政党と一緒になって、左翼党が誕生した。


左派の東西統一といってもいい


ドイツ東部で左翼党は、以前として支持を得ている。たとえばスザンネ・ヘンニングヴェルゾウ出身のテューリンゲン州では、30%を超える得票率。州第1党として州首相も出している。そのため、政治勢力として一定の力を持ち、政治的にも現実的だ。その枠内で左派政治を行う。それによって、テューリンゲン州やベルリン市では一定の成果を出している。


それに対し、ドイツ西部で左翼党は、州議会で議席を得る5%の得票率を超えることもかなり難しい状態。政権に入れる見込みはない。野党として、批判政党であればいいとの立場だ。


ドイツ西部では、戦後禁止されていた共産党やその他左翼グループに属していた党員が多い。そのため、主張は原理主義的、抽象的。一般市民をひきつけるまでには至っていない。抗議票を集めることもできない。


この状況は、ぼくは知っていたつもりだった。しかし党大会を聞いて、かなりびっくりさせられた。一つの政党でありながら、東西に分かれて2つの政党があるようなものだと思った。


意見が異なるのは、国外派兵だけではない。話し方、話の内容、外見までが異なる。党大会においてオンラインで自分の意見を強く主張するのは、ドイツ西部の代議員がほとんど。だいたいいつも同じ人物がガンガン主張する。とてもドグマ的な話ばかりだった。


ドイツ西部からも現実的な代議員が発言した。しかし、「自分のいるところは場違いだけど」と、わざわざ前置きしなければならないのは、この党の現実を反映していると思う。


政治勢力として一定の力を持ち、現実的な政治を行う東部の左翼党。それに対して、伝統的な左翼といってもよく、イデオロギー的な西部の左翼党。その差が、ぼくの思っていた以上に大きいことがわかった。その党が一つの党として活動しているのは、とても不思議なくらいだった。


東西ドイツが統一されて30年。時代の流れに順応してきたのは東部の左翼党だった。それに対し、イデオロギーにどっぷりつかったまま、伝統的な左派を続けてきたのが西部の左翼党だ。


ドイツの左派が、東西でいかに大きく割れているかがわかる。東西の左派には、まだ高い壁がある。


(2021年3月01日)
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関連資料:
左翼党のホームページ(ドイツ語)
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