2018年7月掲載 − 小さな革命 − J・Oのベルリン便り
アッハソー、1997年5月

ある日のこと、小生は現在西ベルリンに暮らしているが、行く行くは東の方に戻りたいと思っている、という話しをした。そうすると、それはどうしてか、と質問された。最もな質問だ。この質問に正確に答えるのは非常に難しい問題なので、ノスタルジーがあるから、とかいってお茶を濁したりする。本当は、これは小生の本心ではないのだが、そのほうが納得してもらいやすかったりするからだ。ただ、その時はそうもいかないので、人々が人間的だから、とうっかり付け加えてしまった。


これがいけなかった。すると、クリスチャンが、西の人間は人間的ではないのか、と聞いてくる。確かな論理である。クリスチャンは今でこそ東ベルリン郊外の病院に勤めているが、れっきとした西側の人間。小生のいい方が悪かったのだが、取り替えしがつかない。これは比較の問題ではなく、壁の崩壊前はものがない時代で、必然的に人々はお互いに助け合わなければ生きていけなかった、そういう意味のことをいっているんだ、といいくるめる。


しかし、これも正確ではない。正確な回答は、簡単にはことばで表現できない。実際に旧東独で暮らしたことがなければ、理解してもらえないことがたくさんあるのだ。実際に体験したもの同士であれば、あれ、よかったよな、でお互いにその良さが共有できるのだが、全く知らない人にはその良さが通じないことがよくある。要は、それと同じだ。


旧東独の場合もそうなのだ。ただ、それをさらに複雑にしているのは、ものの見方の違いではないか。ものがないことを前提にする見方と、ものがあって当然とする見方の差。これは民主主義についても当てはまる。民主主義があって当然とする西側では、旧東独は『非法治国家』だ。しかし、小生にいわせると、現在のドイツには旧東独より、民主的でも、法治国家的でもないことがたくさんある。それでも、旧東独は『非法治国家』だ。


西側は、東独の社会主義独裁、言論・移動の自由のなさ、反体制派の弾圧のことをよく知っていた。東独市民よりもよく知っていたはずだ。西側からすると、これが東独像のすべてだ。それだけでは東独のすべてを語ったことにはならないのだが、それ以上考えようとしなかっただけではないか。


西側に逃亡しないで、東独に残って地道に生活した市民にも十分なパワーがあった。そのパワーがもののない社会で生きていく源となって、人間的な味わい、暖かさを人々の中に残していたのではなかったか。


しかし現在、東独に残り続けた人々の中に自分の過去の生き方を正当化できずに、西側に対して謝罪しなければならないのではないかと感じ始めている人もいるという。これはむしろ健康なプロセスであって、旧東独市民が過去について考えることができる時期に入った現われなのではないか。


それに対して、西側の過去に対する思考は壁の崩壊とともにストップしたままだ。現在旧東独といえば、ネオナチ、失業、金喰い虫などの代名詞でいわれるが、これも東部ドイツのすべてをいい表していない。この見方も壁崩壊前と同様、ある見解に達すると、それ以降思考するのを停止させてしまっているような気がする。(J・O)


(1997年5月1日)
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