2018年7月掲載 − 小さな革命 − J・Oのベルリン便り
アッハソー、1999年1月

新年早々だが、今回はここ数カ月の間に小生の身近で起こった"バカヤロー"について書いておこう。


その1)

10月上旬に引っ越すことになったので、8月末に電話の移転を申し込みにテレコムのショップにいった。今の電話番号を移転させると1週間近く空白ができてしまうというので、元の電話をキャンセルして引っ越し先用に新たに申し込むことになった。

キャンセルの確認はすぐにきたのだが、新しい番号がなかなかこない。心配になったので9月下旬に電話したところ、申し込みされていないという。それで申し込みのコピーをファックスしたが、それでも返事がない。電話で問い合わせてみたところが、テレコムのコンピュータにはまだ何の記録もないというではないか。そこで、電話で話しながらデータをインプットしてもらうことになったが、その間にどうやらアナログ電話用に申し込みが記録されているのがわかった。

冗談じゃない。こちらはISDNで申し込んでいるんだ。それで変更してもらったはいいが、おそらく引っ越しまでには間に合わないかもしれないという。何とかしてくれと拝み倒したが、結局引っ越しても電話のない状態が続いた。

こうなるとテレコムからの手紙を待つしかない。だが、手紙がいつも旧住所(!)に送られているため、遅れて転送されてくる(それでも一応、こちらは何とか機能した)。それでやっと、手紙の要請に従って公衆電話から工事にきてもらう日を決めた。引っ越して5日目にようやく電話が入ると喜んでいたところが、何とアナログ担当がきよった。

冗談じゃない。携帯電話でいろいろ問い合わせてもらうが、担当が違うのでまったく埒があかない。それで、担当の支店へ車で駆け込んでクレームした。

ここでようやく話のわかりそうなトルコ人の男性が登場(ドイツ人でなくてよかった!)。「もっとやっかいなケースもありましたから」と、処理は自分にまかせてほしいという。それから数日してようやく電話が入るが、結局10日以上も電話のない生活が続いた。

ちなみに、引っ越し後もこちらからクレームするまで請求書が依然として旧住所に送られ続けていたから、呆れようがない。知人には電話料金の口座振り落としの名義を変更するだけに半年もかかったのがいるから、小生はまだいいほうかもしれない。この間、テレコムからはお詫びのことばは一言も耳にしなかったが、これもまたたいへんドイツ的だ。


その2)

仕事でフランクフルトに行くことになっていた。テーゲル空港に着いてみると、ターミナルがいやに混雑している。カウンターについてようやくわかったが、雪の影響でフランクフルト空港が制限されているのだ(ベルリンは快晴だった)。前の飛行機が2時間近く遅れている。とりあえず、カウンターで順番を待つが、フランクフルトで乗り継ぎ便のない乗客は乗せないという。

冗談じゃない。IATAの規定にそんなことがあるのは聞いたことがない。それではいつになったら、乗れるのかと聞いても、おそらくまる1日無理だろうという。

しかし頭にくることに、他の客にはマイレージカードやら、他のカードを持っているか聞いているのだ。どうやら実際には、それで優先順位を決めているらしい。小生は正規の高いチケットを持っているのにチケットを見ようともしない。仕方がないので、フランクフルトの訪問先に詫びを入れて、その日は諦めることにした。

ちょうど一週間後、別件で同じ便でフランクフルトに飛ぶことになった。テーゲル空港がいつもと変わらないので大丈夫かと思ったら、今度はフランクフルトが霧だという。前の飛行機がまた2時間近く遅れている。ただ今回は、その2時間遅れの前の飛行機に乗せてもらうことができた。

ところがだ。フランクフルト空港からフランクフルト中央駅に出て、そこから別のSバーンに乗り換えたところ、2ー3駅走ったところで、電車が動かなくなってしまった。何の車内放送もない。他の乗客とドアをこじ開けてホームに出てようやく電車が故障したとわかる。仕方なしにタクシーで目的地に向かったが、約束の時間から1時間も遅れて平謝り。

ところがまた、帰りが問題だった。フランクフルト空港に着くと(予約してあった飛行機には乗り遅れた)、ベルリン行きが2本もキャンセルされている。次の飛行機もウェーティングだという。結局、空港で4時間近くも待ってその次の飛行機で帰ることができた。しかし利用したルフトハンザからは、帰路の機内でのアナウンスを除くと、お詫びのことばは一言もなかった。


その3)

Kちゃんはベルリンに住んでいたが、愛する彼の仕事のためにデュッセルドルフに引っ越すことになった。しかしベルリンに対する愛着を捨てきれず、1ヵ月に1回くらいの割合でベルリンに遊びにきている。デュッセルドルフに帰る時は、かいがいしく彼の依頼でトーベンというパン屋でケーキを買って帰るのを常としている。

いつも汽車を利用するので、ツォー駅の中にあるトーベンで買えばいいのだが、そこのケーキは彼氏によると、あまりおいしくない。それで、いつも別のトーベンで買うことにしている。その日はヴィッテンベルクプラッツのトーベンはおそらく混んでいるからと、別のトーベンに行ったが、土曜日なのでもう閉まっていた。仕方がないので、ヴィッテンベルクプラッツのトーベンに行った。

案の定、お店は混んでいた。しかし、汽車の時間が迫っている。そこで、前に並んでいるお客さんたちに、汽車に間に合わないので先に買わせてくれないかと頼んだ。しかし、誰もいいとはいわなかった。そこで店員に事情を話したが、店員もまったく取り合ってくれない。

頭にきたKちゃんは店中に聞こえる大きな声で

  Arschloch!
(直訳すると「ケツの穴」という意味だが、軽蔑的に「まぬけどもが!」とでもいう意味)

といってサッサと店を出てきた。店内は一瞬、シーンとしたという。


その4)

うちでたくさん人を呼んでパーティーをやるので、Nちゃんに大きなコート掛けを借りていた。パーティーが終わったので、車でコート掛けを返しにいった。

しかし、Nちゃんのうちの近くは車で一杯。駐車できるスペースがない。そこで、コート掛けだけでも先に降ろして別の場所で駐車場を見つけようと思い、小さな交差点の角に車を止めて、コート掛けを降ろそうとした。

ちょうどその時、30代くらいのドイツ人夫婦が歩いて交差点を渡ろうとした。夫婦がまっすぐに歩こうとすれば、小生の車が邪魔になる。すると、男性のほうが邪魔だといわんばかりに「うまく駐車しましたね」と嫌味をいいやがる。

こういうのはドイツではよく体験することで、自分が法の番人でもあるかのように思っていやがる。自転車専用道路に立っただけでも、邪魔だと自転車の前を開けろといわれたこともある。自分の権利を笠に着て絶対に譲ろうとしないのだ。

小生は男に向かって、「そんな態度はドイツ人の典型だ。それがナチスを生んだんだよ!」と大きな声で怒鳴りつけてやった。

すると、近くで聞いていた老婆が「エッ、ナチスだって。あー恐い」といって、家の中に引っ込んでいった。


その5)

フランクは大晦日に、ブランデンブルクの知人のパーティーにいった。しかし知人の家が見つからず、結局電車ですぐにベルリンに戻ることになった。

ところがだ。電車が走り出して少し経ったところで、電車はガタンと音を出して止まってしまったのだ。

その後は、何の車内放送もない。外にも出れない。暖房が切れて車内は急に冷え込んでくる。結局、フランクは何も知らせられないまま、6時間も電車の中に閉じ込められ、元旦の明け方4時頃にようやくツォー駅に戻ってくることができた。

フランクは、いまだに何が起こったのか知らない。お詫びのことばも聞いていない。(J・O)


(1999年1月1日)
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