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アッハソー、1999年3月

日本でも報道されたと思うが、社民党と緑の党のドイツ新政府は出生地主義を基本として二重国籍を認める法案を作成した。法案は国会に提出されていないのだが、シリー内務相(社民党)が法案の内容を公表すると同時に、CSU(キリスト教社会同盟、バイエルン州だけに存在する政党。小生からすると極右政党)がすぐに猛反対ののろしを上げた。兄弟政党であるCDU(キリスト教民主同盟、前国政与党の主体)も、これまで国政野党としての存在をアピールできずに低迷していたことから、これこそが野党の存在を示す最高のテーマといわんばかりに、党内では賛否両論があったにもかかわらず、二重国籍反対署名運動を開始することを決定。特に2月のヘッセン州州議会選挙で不利が予想されていただけに、これに乗らなければ野党がすたるとばかりに反対署名運動を展開した。


結果は、ヘッセン州で思いもよらぬ大勝利。それによって、国政与党の社民党と緑の党は州の代表で構成される連邦参議院(上院)で過半数を失ってしまい、二重国籍を認める法案を成立させるには、法案を大幅にトーンダウンさせなければならなくなってしまった。


実際にはすでに二重国籍を取得している外国人もいるのだが、公然と二重国籍を認めようといったものだから逆に問題がややこしくなった。ドイツにはトルコ人やユーゴ難民など外国人が多いのだから、二重国籍というよりは問題の中心は、外国人をいかにドイツに統合すべきかということであるはずだ。社会が高齢化し、社会保険制度も破綻していることを考えると、ドイツにとって若い外国人が入ってくることは損ではないはず。しかし深刻な失業問題を考えると、外国人がたくさん入ってくるのは困ると議論される。


だがおもしろいことに、二重国籍反対署名をたくさん集めたのはバイエルン州、バーデン・ヴュルテンべルク州、ヘッセン州など旧西ドイツの南の地域で、いずれも失業率が少なく、経済的にも豊かな州ばかりだ。逆に、失業者が多く、反外国人感情が強いといわれている旧東ドイツ(1月の失業率は18.9%)では署名運動が盛り上がらず、集まった署名はたくさん集めた州の10分の1にも満たない状況だという。


東部ドイツで署名運動が成功していない背景として、署名運動に興味を持つ余裕がないほど生活が厳しいことが推測される。ベルリンを見ても、署名が多く集まっているのは豊かなツェーレンドルフ区と外国人の少ないライニッケンドルフ区で、少ないのは東ベルリンと外国人の多いクロイツベルク区、シェーネベルク区だ。


もうひとつ注目したいのは、二重国籍反対署名を集めるCDUのスタンドでは若いドイツ人がたくさん活動しているということだ。20歳前後の若い層だから驚かされる。ただ署名した人の中では、60歳以上の高齢者の占める割合が高いという。ただヘッセン州の選挙結果を見ても、若い層の票は主としてCDUに流れ、これまで若い層に人気のあったはずの緑の党が若い層から票を失って大敗してしまった。


また、バイエルン州やバーデン・ヴュルテンベルク州などカトリック系信者の多い地域で、署名がたくさん集まっている。南部にいけばいくほど保守色が強くなるからだが、「C」は何も教えなかったのかと思いたくなる。いっそうのこと政党名もADU/ASUとかRDU/RSUに改名したほうが現実に近くていいのではないかと思う。「A」はArroganz(ごう慢)、「R」はrechts(右)だ。


正直なところ、これまでの歴史を振り返ると、政府がベルリンに移転してくるのは恐い。まあそれでも政権が社民党と緑の党に移ったので多小は安心かと思ったのだが、二重国籍反対派の議論を聞いていると、ドイツよまたかと思いたくなる。


ただ、小生は二重国籍賛成派の意見にも反対派の意見にも納得していない。というのは、ドイツが決定できるのはこれまで通り外国人の帰化を認めるかどうかだけで、外国人がそのために元々の国籍を放棄する(しなければならない)かどうかは外国人側の問題だからだ。二重国籍となるのは結果論であって、帰化を認める側の問題は国籍を与えるか与えないかだけだ。


ここで考えなければならないのはむしろ、国際社会となって外国人が多くなってきている世の中でどうすれば外国人を社会に統合していくことができるのか、ということではないか。それは二重国籍を認める、認めないの問題ではない。


たとえば小生が日本国籍をどうするかは、どうしてドイツ人によって決められなければならないのだ。二重国籍のことをどう思うかと聞かれることがあるのだが、その時小生は、ドイツ国籍を取ったら日本国籍を失うでしょう、と答えている。それは日本側が二重国籍を認めていないからだが、だいたいのドイツ人はキョトンとしている。小生にとっては、ドイツの二重国籍賛成、反対そのものもこのキョトンなのだ。小生が二重国籍を持つことはできないのだから、それはドイツ側の問題ではないのだ。だからいずれの議論も外国人の尊厳を尊重するという境界を超えていて、ドイツ側の思い上がりとしか感じられない。


その間に、PKKのオジェラン党首が逮捕された。ドイツばかりでなく、ヨーロッパ中でクルド人が抗議テロを起こしてたいへんな騒ぎとなっている。ベルリンではイスラエル領事館に押し込もうとしたクルド人3人が何の警告もなく、イスラエルのセキュリティ・サービスに射殺されてしまった(最終的には4人死亡)。人間が簡単に殺されてしまうのはイスラエルならではという気がするのだが、クルド人の暴動はドイツの外国人問題に暗い影を落としてしまったのは事実で、二重国籍賛成派には不利となった。


一般的にはクルド人による暴力がクローズアップされるばかりだが、小生は逆にトルコ人の危なさを感じている。ドイツで生活するトルコ人は、ドイツ人による外国人迫害を厳しく批判している。しかし、トルコ人によるクルド人迫害の歴史を見る限り、どうしてトルコ人にドイツ人を非難することができるのかと思いたくなる。ベルリンで射殺されたクルド人の追悼デモが行なわれた時でも、トルコ人は何やかやとクロド人を侮辱する行為をしたりして挑発していた。ドイツでは、クルド人とトルコ人が対話しようとする気配もない。ここにきて、ドイツ国内のトルコ国粋主義者の活動が活発になってきたとも伝えられている。クルド人とトルコ人だけの問題ではなく、ベルリンのトルコ人協会では左派と右派が熾烈に対立している。そうなるとこれは、ドイツ人の問題というよりはトルコ人の問題なのであり、問題は外国人がドイツでどう暮らしていくのか、そして自分自身でどうドイツ社会に入っていくのかという問題となる。


もちろん、クルド人問題はトルコ自身の問題ばかりでなく、アメリカや西欧諸国がこれまで自国の利害関係のために十分に対応してこなかったという問題でもある。EUがトルコの加盟を認めないひとつの理由がトルコ国内の人権問題であるとはいえ、EUはこれまでトルコによる人権迫害に対して何もしてこなかった。ドイツは逆に、トルコによるクルド人攻撃のために旧東独軍の戦車を提供したさえといわれている。


オジェラン党首がイタリアで逮捕された時も、ドイツはオジェラン党首に対して逮捕命令が出ているにもかかわらず、国内でのクルド人の暴動を恐れて引渡を要求しなかった。結局、ドイツもその他の国もクルド人問題から目を背けたのだ。しかし結果は同じで、クルド人は欧州各国で暴動を起こした。今になって欧州各国がオジェラン党首が公正に裁かれるようトルコに要求したところでもう遅い。


こう見てくると、外国人問題は複雑である。しかし将来のことを考えると、今問題から顔を背けるのではなく、直面する問題に面と向かって取り組んでいくしかない。出生地での国籍を認めるのは、そのうちのひとつだと思うが。(J・O)


(1999年3月1日)
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