2018年7月掲載 − 小さな革命 − J・Oのベルリン便り
アッハソー、1999年11月

86年4月にチェルノブイリ原発事故が起こった時、小生は東ベルリンにいた。もちろん東側では、事故について詳細は報道されなかった。事故の数日後、ようやく子供を砂場で遊ばせないようにとか、できるだけシャワーを浴びるようにといった注意が発せられるようになったと記憶する。それに対し、西側では確か、事故後かなりの期間、毎日のように野菜、牛乳などに含まれる放射線量を報道していた。


事故直後の5月1日、小生はメーデーを見ようとワルシャワに飛んだのだが、そこでも原発事故などおかまいなし。たくさんの市民がメーデーのデモに繰り出していた。


東部ドイツ南部のエルツ山地には、旧ソ連が運営していたヴィスムート・ウラン鉱山があった。その企業史が今年6月になってようやく公表された。それによって、52年から90年の間に5000人以上の人が肺ガンになっていたことが明らかにされた(ただし、労災認定者のみ)。これも旧東独時代では知ることのできなかった事実だ。


東海村の臨界事故は、こちらにいて当日の夕方(日本時間の深夜)まで事故のことは知らなかった。東京の知人から電話があって、ようやく知った次第。その知人は、アメリカのニュースでは「チェルノブイリ級事故、東京脱出せよ」などと、大変な事故のように報道されているとアメリカの友人から連絡があったのだが、日本のニュースではそれほどでもないことをいっている、ただ日本では、原子力関係の報道はまったく当てにならないので、ドイツでどう報道されているか、知らせてほしいというのだ。


早速、まずネットで朝日新聞の報道を読んだ。それからドイツ第1、第2チャンネルの夜のニュースを見た。両国の報道には、それほど大きな差はないようだ。


しかし、エッ!!防護服も着ていない救急隊員が被爆したばかりの職員を運んでいるではないか。


いったい、これは何ということなのだ。


事故の原因もさることながら、今回の事故では、想像を絶することがたくさん起こっている。原子力の利用では技術の問題より、人間のミスや宣伝活動、隠蔽など、ヒューマン・ファクターが一番恐いと思う。


日本に一時帰国した時に、原子力平和利用を擁護するテレビ・コマーシャルがのうのうと流れているのを見て、ぞっとしたのを覚えている。日本にいると気にならないかもしれないが、これは、明らかに洗脳だ。


ドイツでは、ここ10年余、新しい原発は建設されていない。今後新設される可能性もない。反対運動が激しいからだ。実際、増殖炉や再処理施設の建設は反対運動によって阻止された。放射性廃棄物輸送が輸送容器の放射能漏れ発覚で中断しているが、中断後1年半経った今も再開の見通しはたっていない。輸送反対デモがこれまで以上にエスカレートする可能性が高いからだ。国政与党の緑の党がこれまで原発反対派と一緒に戦ってきただけに、現政権が輸送再開にゴーサインを出せば「ブルータス、おまえもか」になってしまうのだ。


ゴアレーベン中間貯蔵場に放射性廃棄物の入ったキャスク(輸送容器)が搬入される毎に、市民と機動隊の間で戦争まがいの衝突が展開されてきた。政府としては、こうした過激な争いは絶対に避けたいところ。そのため、できるだけ早く脱原発路線を軌道に乗せたいのだが、電力業界との脱原発交渉は暗礁に乗り上げている。


小生の見るところ、たくさんの理由から、緑の党のいう早期に原発から撤退するのは難しいと思う。しかし、電力市場が自由化されて電力料金の価格戦争が激しくなった現在、改造も含め原発建設のような巨大投資はコスト高で割に合わない。そのため、地球環境上の問題を考慮しても、原発が無用の長物化してくるのはそう遠い将来のことではないと思っている。(J・O)


(1999年11月1日)
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