2018年7月掲載 − 小さな革命 − J・Oのベルリン便り
アッハソー、2000年1月

いやはや参った。拙宅の前の道路は花火の紙屑だらけ。路上駐車しておいた車のあちこちにピンク色の火薬の粉がこびりついている。これはまだいいほうだ。近くのティーアガルテンという公園にジョギングにいったところが、花火の紙屑やら、瓶のガラス片やら、空き缶やらがゴミの堆積場のように重なっている。そのうえ、なにやら悪臭がする。どうやら仮設トイレが足りないので、至るところで用を足したらしい。寒いうえにアルコールが入っているから、仮設トイレがパンクするのも無理はない。アンドレアスは大晦日のライト・ショーを見にティーアガルテンの近くまできたが、あまりの人、人、人で先に進むことができなかったといっていた。それだけでも、たいへんな人が集まっていたことが想像できる。


これが、2000年を路上で祝った残骸だった。21世紀までにはもう1年あるのに気が早いとも思われるが、ミレニウムということであれば仕方がないか。0が3つ付く年は1000年に1回しかないのだから。


元旦の午後は、大晦日パーティーのあったブランデンブルク門辺りがどれほど汚いか、野次馬根性でよく見にいったものだが、さすがに今年はいかなかった。毎年元旦の朝には、ブランデンブルク門とアレキサンダー広場を往復する新年初走りがあるのだが、今年の超莫大なゴミをそれまでに走れる程度に清掃したのだから、まったく頭が下がる。


大晦日は18時以降でないと花火をあげたり、火薬でバチバチ鳴らしてはいけないことになっているのだが(見つかると罰金が取られる)、気の早い奴らがいて、だいたいは数日前からバチバチはじまる。この大晦日は気の早い奴がたくさんいて朝から結構うるさかったが、花火による煙なのか夜の8時頃にはもう夜空がもうもうとしてガスが濃くなりはじめた。クーダム通りにあるオイローパ・センターという高層ビルの上の階では、わざわざブランデンブルク門の2000年の花火を見るために部屋を借りた人もいたそうだ。しかし、ガスのために花火はほとんど見えなかったという。


毎年拙宅では、大晦日の夜にパーティーをすることにしている。しかし今回は、静かにお正月を迎えようと一切人を呼ばなかった。ゲルハルトは大晦日のライト・ショーに行くから、拙宅がライト・ショーのある場所から近いので、その前に暖をとりにきていいかと聞いてきた。しかし、それも断わった。大晦日を前にして、何人もパーティーはどうするのかと問い合わせがあったが、今年はやらないことにしたので、みんながっかりしていたようだった。


特に一人暮らしの人にとって、大晦日をどう過ごすかが難題らしい。大晦日を一人で過ごすのは一番辛いという。友人、知人同士でいろいろ声を掛け合っては集まりがうまい具合に成立していくのだが、勘定に入れていたところが駄目となると、次の当てを探さなければならない。


大晦日のパーティーで欠かせないのは、ゼクト(ドイツ製発泡性ワイン)だ。もちろん、フランス製の高級シャンパンや、イタリア製のプロセッコでもいい。0時が近ずくと、コルクを抜いてグラスに注ぎ、0時になるのを待つ。カウントダウンして新年になると、一人一人とグラスを打ち合わせて新年を祝う。その後はおしゃべりをしたりして過ごすが、夜が明けるまで延々と続くこともある。


元旦は散歩だ。新年の散歩とかいったりするが、元旦に散歩する人が非常に多い。この寒いのにとも思うが、毛糸の帽子や厚手のコート、手袋と完全装備で出かける。カリンは元旦にポツダムとベルリンの境にあるグリニッケ橋の辺りに散歩にいったが、あまりの人にうんざりしてすぐに返ってきたという。(J・O)


(2000年1月1日)
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