2018年7月掲載 − 小さな革命 − J・Oのベルリン便り
アッハソー、2000年5月

97年4月のベルリン便りで、東部ドイツのアマチュア・サッカーチーム”エネルギー・コットブス”がドイツ・カップの決勝に進出するという大旋風を巻き起こしたと書いた。何とそのコットブスが1部のブンデスリーガに昇格してしまったのである。97年のドイツ・カップ決勝では負けてしまったが、その秋から2部リーグで活躍。今シーズン(ヨーロッパでは9月から6月が1シーズン)は3位になったので、1部昇格となった。3シーズンで1部に昇格するという快挙だが、昇格を決めた最終戦の後は町中いや地域中がたいへんな騒ぎとなった。2部に昇格した時でさえ、1週間お祭り騒ぎが続いたといいうから、今度はどうなるのか想像がつかない。


コットブスのあるラウジッツ地方は、露天堀炭鉱で地域経済を支えてきた。しかし、統一後の炭鉱閉鎖などで、失業率は現在20%を超えている。ネオ・ナチ問題も抱え、地域一体に明るい材料はない。コットブスという町はユーゲントスタイルの劇場と工科大学で有名だが、ドイツの最南東に位置するため、ポーランドの町かと思っているドイツ人さえいる。2年前のことだが、ケルンのチームの監督が1部降格か残留かを決める最終戦を前に選手にドイツの地図を広げて見せ、2部に落ちたら、コットブスへ行かなければならないぞ、といって選手に発破を掛けたという。コットブスの1部昇格はドイツ・サーカーの「東方拡大」でもあるのだ。


エネルギー・コットブスの今シーズンの全体予算は約1300万マルク。2部でも最低のほうだ。1部の強豪チームはスター選手を買い取るために1500万マルクも支払ったりするから、コットブスは金銭的にスター選手一人にも値しないことになる。その資金不足を補うため、コットブスは東欧やアフリカなどから安い選手を買い集めてきた。現在選手の国籍は15カ国、ドイツでは一番のマルチナショナル・チームだ。


チームを育てたのはガイアー監督。旧東独代表サッカーチームを指揮した最後の監督だ。コットブスと最後まで1部昇格を争ったのは、今でこそ2部だが、西部ドイツのサッカーではバイエルン・ミュンヒェン以上に伝統のあるメンヒェングラートバッハ。メンヒェングラートバッハのマイヤー監督も旧東独出身の監督だ。マイヤー監督の場合は、今シーズン途中に監督に就任。2部の最下位にいたチームを19戦負けなしと変身させ、1部昇格争いまで演じさせた。


両監督に共通しているのは、周囲に遠慮せず物事をズバリということだ。同時代人としては時代遅れとも思われがちだが、監督の威厳を保って選手のわがままを許さない。


話の内容がまったく違う方向にいってしまうが、CDUの党首となったメルケル新党首のことも書いておこう。メルケルさんは党幹事長として、コール前首相が違法な政治献金問題で献金者の名前を公にしないのは正しくない、とドイツの最大紙FAZに寄稿して、歴史の1ページを描いたコール前首相を公然と非難した。ただこの寄稿文をきっかけとして、メルケル株が急上昇。CDU内では不利な条件(女性、子供なし、東部ドイツ出身、プロテスタント、党内左派)にもかかわらず、国政最大野党の党首に選出された。現在、新党首として党再建の責任を一身に担っている。メルケルさんは統一直後に、東部ドイツの女性として初めて統一ドイツ政府の大臣に起用された。ただ当時は、まだ子供扱い。コール前首相などは、メルケルさんを”Maedchen(女の子の意)”と呼んでいたという。


さてエネルギー・コットブスに話を戻すが、チームがプレーするスタジアムは”Stadion der Freundschaft(友好のスタジアムの意)”。「エネルギー」という名前といい、旧東独の名残をとどめるなつかしい名前である。(J・O)


(2000年5月1日)
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