2018年7月掲載 − 小さな革命 − J・Oのベルリン便り
アッハソー、2003年2月

ドイツが統一されてもう12年が過ぎてしまった。あっという間の12年だったという気がする。壁が開いた当時は、これから世の中はどう変わっていくのだろうか、とわくわくする気持ちと、どうなってしまうのだろうかという不安が入り交じっていた。12年経った現在、統一ドイツは日常化してきているのだと思う。確かに、統一後のベルリンの変化は凄まじいものがある。しかし社会はむしろ、ノーマルになってきているというべきだ。


しかし、12年経った現在でも絶対に越えることのできない壁がある。それは、壁のどちら側にいたかという過去の事実だ。この事実は、東西に分かれて生活した人間が死に絶えるまで消すことのできない現実であろう。この現実は、統一が日常化した社会においても、溝川の表面に泡が立つように、溝の底からぶくぶく沸き上がってくる。


小生は人生の半分以上を日本で暮らし、東西統一の日まで約5年半壁の東側で生活した。今から思うとわずか5年半のことだが、小生は壁の東側の人間なのだ。これは、イデオロギーがどうのこうのという問題ではない。単に、東側にいた人間だということなのだ。しかし、この「単に」は現在、たいへんな重みを持っている。


たとえば、小生が誰かと東西ドイツの問題について話しているとしよう。そうすると、小生はすぐに、話し相手が壁のどちら側にいた人間なのか、すぐに気付いてしまう。ドイツ人であろうが、日本人であろうが、誰でも同じだ。西側社会でしか暮らしたことのない人々が、旧東独社会の生活にいかに無知で、偏見に満ちあふれているか、小生はいらいらしないでは聞いていることができない。ドイツ西部の人でも、仕事か何かで東側に生活したことのある人であれば、全く問題はない。彼らには偏見がない。このいたか、いなかったかという現実は、実に重い。恐いのは、この無知と偏見がひとりで走り出すからだ。


この重い現実について書いたのは、ひとつには拉致被害者のことが頭にあったからだ。被害者の方たちは北朝鮮という体制の違った社会に連れていかれ、そこで生活することを余儀無くされた。強制的な行為とはいえ、被害者の方たちにとって北朝鮮で生活したという現実は絶対に消えない。まず、この現実を尊重しなければならない。本人たちにとっては消しようのない現実だ。日本人から見れば、それは生活ではないと写るかもしれない。しかし、一体日本人の誰が北朝鮮で生活したのか。無知と偏見から想像しているにすぎない。しかし、日本ではこの無知と偏見がノーマルになってしまった。


現在、日本で起こっていることは拉致被害者に対する集団的暴力である。彼らはこの集団的暴力によって自由を束縛されてしまったのだ。ドイツのある新聞は、被害者の方たちは現在、2回度目の拉致被害にあっているとまで書いていた。


もちろんこうしたことは、日本に限ったことではない。ある国では無知と偏見に、傲慢さが加わって罪のない市民を多数殺そうとしている。それも、自己流の根拠によってだ。現在、91年の湾岸戦争の根拠となったイラクがクウェートに侵攻したという事実がなかったこと、イラク兵がクウェートで保育器から乳幼児を連れ出して殺害していると涙ながらに証言した女性のビデオが、米国の広告代理店が作成したプロパガンダ・ビデオだったことが判明している。


さて、今回の某国パウエル国務相の証言は?


すでに、証拠の一部に先の湾岸戦争後に書かれた博士論文からの盗作があったことが判明した。さらに、盗聴の録音についても個人の生活で話されたものを悪用している可能性が取りざたされている。ただ日本では、こうした問題がどう報道されているかも気になるところだ。(J・O)


(2003年2月1日)
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