2018年7月掲載 − 小さな革命 − J・Oのベルリン便り
アッハソー、2005年9月

ドイツと日本では、首相の強引な判断で国会が解散され、総選挙(ドイツでは、連邦議会選挙)となった。両国ともに、国内に多大の問題を抱えているだけに、将来に向けて重要な選挙である。それだけに、小生も2つの選挙にはたいへん関心を持っている。ただ正直いうと、ちょっと奇妙な感じも抱いている。


ドイツの選挙では、今後の年金制度や健康保険制度など社会福祉問題を、グルーバル化した社会の中でどう位置づけていくべきかが最大の焦点。そのため、ドイツに生活する小生にとって、将来ドイツで生活を続けていく上で、今後の生活はどうなるのか非常に大切な選挙だ。それに対し日本では、争点が郵政民営化に絞られた選挙で、国外に暮らす小生にはほとんど影響がなく、日本がどう変わっていくのか全くわかりにくい選挙だった。


ドイツの選挙のほうが小生自身の生活に深い関わりがあるわけだが、ドイツ人ではない小生に参政権はない。結局、ドイツ人が選んだ政権が決めたことを押し付けられる。それに対し日本では、在外選挙人制度というのがあって、国外にいても日本人であれば、比例区だけを対象に参政権を行使できるのだ。投票するには、事前に在外選挙人名簿に登録しておかないといけないが、小生のような長期国外滞在者は本籍のある比例区で投票する。しかし小生は、本籍地のある富山県から離れてすでに30年。もちろん総選挙は国政選挙であるので、地域にこだわる必要はないが、小生自身の生活からはあまりにもかけ離れている。それでも投票できるのは、実に民主的だと思う。それに比べると、住民として社会とのつながりがあっても、外国人に参政権を与えないのは、非民主的ではないのか。


これは、参政権の基盤が国籍にあるからだが、国籍至上主義的な制度は状況によって、ある時は民主的になり、ある時は非民主的となる。この矛盾を解消するため、オランダなどは地方選挙において外国人に参政権を与えている。ドイツでは、まだ外国人に参政権は与えていないが、自治体によっては外国人の主張を政治や行政に反映させるため、地方行政において外国人の立場を代弁する外国人代表を外国人に選出させているところもある。一般的には、個人的に外国人と親しければ外国人参政権に反対ではないが、総論としては賛成できないというのが現実ではないかと思う。


この外国人参政権の問題だが、小生はいずれ、憲法上の問題になるのではないかと思っている。というのは、グローバル化が進んで外国人住民が増えていけば、社会は国民社会から市民社会へ移行していかざるを得ないわけで、憲法が人間の平等性を唱えていながら、国籍の有無によって差別があるのは矛盾だと感じられてくるからだ。要は、平等性の枠をどこに設定するかだ。枠は、時代の変化、空間の拡大によって移動させなければならない。


ただこれは、それほど簡単な問題ではない。市民社会化が進んでいると見られるヨーロッパにおいてさえも、国民は市民社会化に抵抗している。欧州憲法批准に向けた国民投票で、フランスやオランダで国民がノーといったのは、そのひとつの現れだ。


こうした市民社会化に苦悩するヨーロッパがある一方で、小泉自民党が大勝した日本がある。先に、日本の在外選挙人制度は民主的といったが、ほぼ50年も特定の政党が政権を握っているというのも正常ではない。それでは、利権が特定の分野にだけ集中してしまうではないか。それを回避するため、政権交代があるのが民主主義としては正常なのだ。ヨーロッパにいると、日本の状態は余計民主的ではないと見えてくる。(J・O)


(2005年9月1日)
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