バロック音楽といえば、何といってもバッハ。バッハのことを忘れてはならない。
でも日本では、バッハといえばオルガン曲やブランデンブルク協奏曲くらいしか知らない人も多いのではないかと思う。あるいは、ヴァイオリンとチェロの無伴奏作品が好きという人もいるのではないか。
日本の音楽の教科書では、バッハは「音楽の父」と書かれている。でも、それがなぜなのか。どこにもはっきりした説明がない。ことばだけが先走りしていないだろうか。
バッハの音楽は、聞いて見てはじめてそのすばらしさを感じる。ただバッハが教会の楽長をして教会音楽を主に作曲している分、宗教的な背景のないわれわれ日本人にはバッハの音楽がわからない、日本人が演奏しても平べったいものになってしまうのも否めない。
でもその音楽を聞いて見ると、バッハの音楽がその後の作曲家の音楽に大きな影響を与えていることがわかる。そればかりではない。バッハの音楽には、ジャズ的な即興性の要素まである。とても幅の広い、すばらしい音楽であることがわかると思う。
でもそのバッハは、オペラ作品を書いていない。それは、どうしてなのだろうか。
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バッハの〈マタイ受難曲〉終わりのコラールの楽譜。ぼくはこのコラールを聞くと、涙が出る |
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それは、バッハが主に教会の楽長として働いていたからだと思う。
すでに書いてように、オペラは当時、庶民的な面を持っていた。とはいえ、貴族など上流社会のために書かれたかなり贅沢なものだった。バッハはカトリックではなく、ルターに由来するプロテスタント教会にいた。贅沢なオペラを作曲することは、許されなかったのだと思う。
プロテスタント教会は、カトリックに比べると質素だった。それが、贅沢で絢爛豪華なオペラとは相容れなかった。
でもバッハには、オペラを書く意欲があったと思う。実現しなかったが、当時オペラ作品をたくさん書いたヘンデルに、何回も会おうとしている。
ぼくは、バッハがオペラへの欲求を受難曲を書くことで満たしていたとしか思えない。受難曲は、合唱曲をメインとしながらも、アリアとレチタティーヴォで構成される。その構成がオペラに似ている。ドラマ性もオペラと変わらないといっていい。派手さのカットされたオペラ作品のようなものといってもいい。
だから今、バッハの〈マタイ受難曲〉と〈ヨハネ受難曲〉がオペラ形式で上演されるのも不思議ではない。
(2020年10月05日) |