バロックオペラファンには、モンテヴェルディの3つの作品がバロックオペラに入るきっかけだったという人も多いと思う。ぼくにとっては、グラウンの〈シーザーとクレオパトラ〉がそのきっかけだった。
カール・ハインリヒ・グラウン。18世紀前半に活躍したドイツ人作曲家だ。グラウンは1741年から、プロイセン王フリードリヒ2世(大王)の宮廷楽長を務めていた。大王から、ベルリンの王室歌劇場(現在の国立オペラ)の設立を委託される。
ドイツでは、17世紀前半からオペラ(ジンクシュピール)が作曲されていた。当初は、ドイツ語の台本による民族的な作品が主流だった。しかし、南部からイタリア・オペラが流入。1730年代になると、イタリア・オペラにその座を奪われてしまう。そのドイツにおけるイタリア・オペラの中心になった作曲家の一人が、グラウンだった。
1742年12月、まだ完成していないベルリンの王室歌劇場でグラウンの〈シーザーとクレオパトラ〉が初演される。それから250年後の1992年10月、ベルリン国立オペラでグラウンの〈シーザーとクレオパトラ〉の新演出が上演された。指揮はレネ・ヤコブス、オーケストラはコンチェルト・ケルン。古楽器を使っての演奏だった。
この1992年の公演が、ぼくにとって実質的なバロックオペラ初体験。古楽器専門のオーケストラによる演奏を聞いたのも、これがはじめてだった。ぼくはそれ以降、バロックオペラの虜になる。ぼくは〈シーザーとクレオパトラ〉の公演に、10回近くいっていると思う。
〈シーザーとクレオパトラ〉は、結構長い作品。でも、まったく飽きさせない。ぼくはクギ付けされたように、舞台に見入っていた。シーザーとクレオパトラを題材にしたものには、ヘンデルの〈エジプトのジュリアス・シーザー〉もある。ただこちらはシーザーが主役。グラウンの〈シーザーとクレオパトラ〉では、クレオパトラがメインだ。シーザーはメゾソプラノによるズボン役となる。
ヘンデルでは、見せ場がアリアの独唱に集中してしまいがち。でもグラウンの作品のほうは、楽曲の組み合わせであるのは間違いないが、楽曲間のつなぎが細かく描かれている。その分、クレオパトラの苦悩がより細かく、深く感じられるように思う。
ベルリン国立オペラではその後、シーズン毎にバロックオペラを1作品新たに取り上げることになる。今となっては当たり前のこと。でも当時、大きなオペラハウスとしては画期的な試みだった。
ぼくがバロックオペラを熱狂して満喫できているのも、ベルリン国立オペラのおかげだ。感謝、感謝!
(2020年5月25日) |