時代区分としてルネッサンスといえば、14世紀から16世紀の時代のこと。バロック音楽の前の時代だ。
日本でいえば、江戸時代の前の室町時代に相当する。日本の室町文化といえば、何が思い浮かぶだろうか。
金閣寺や銀閣寺などの建築か。能や狂言を思い浮かべるかもしれない。茶の湯や生花なども室町文化だ。雪舟の水墨画だと思う人もいるかもしれない。
ヨーロッパでは、宗教改革の時代でもある。ちょうどそれに重なる時期である15世紀から16世紀の音楽のことをルネッサンス音楽という。ただ音楽では、「ルネッサンス」の意味である「復興」という意味は、そこにはない。
ルネッサンス音楽は、キリスト教の聖歌が中心となる中世西洋音楽とバロック音楽の間を結ぶ音楽になる。声楽による宗教曲がルネッサンス音楽といってもいい。
そのルネッサンス音楽の巨匠ともいえるのが、フランスの作曲家、声楽家のジョスカン・デ・プレ(1450/1455年? - 1521年)だった。
そのジョスカンのミサ曲全18曲を演奏するコンサートが、2022年7月13日から16日の4日間、ベルリンのピエール・ブーレール・ザール(ホール)で開催された。
演奏は、イギリスの声楽アンサンブル「タリス・スコラーズ」。指揮は、ピーター・フィリップスだ。声楽だけによるアカペラ演奏で、10名くらいの男女混成合唱によるコンサートだった。
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公演後に拍手を受けるタリス・スコラーズ(ピエール・ブーレーズ・ザールで) |
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元々コンサートは、1年前の2021年夏に予定されていた。だがコロナ禍で延期され、1年後に実現されたのだった。
宗教曲というと、毛嫌いする人もいると思う。でもバッハの音楽も、宗教曲だ。だからといって、バッハの音楽を毛嫌いするだろうか。宗教曲も、芸術としての音楽の一部だ。さもないと、バッハ音楽のすばらしさは理解できない。
ジョスカンは、バッハよりももっと前の時代の作曲家。宗教色が強くて当然だ。実際、作曲した作品のほとんどは、ミサ曲とモテットだった。
宗教色が強ければ強いほど、自由に作曲できる幅は制限される。極端にいえば、仏教で「お経を読んでいるようなもの」といってもいいのかもしれない。
ぼくは、ミサ曲18曲のうち3曲聞いた。いずれも、1480年代から1490年代に作曲されたジョスカンの初期・中期の作品だった。
驚かされたのは、当時の宗教曲という限られた枠組みの中で、ちょっとした変化をつけるだけで、音楽にとても多様で、多彩な色合いを醸し出していることだ。それによって、それぞれが異なる音楽となる。
その創造性の豊かさには、脱帽せざるを得ない。
宗教改革の中心人物マルティン・ルターはジョスカンについて、「ジャスカンは、自分の思うように楽譜が書かれていく楽譜の親方職人だ。それに対して他の作曲家は、楽譜が思うように、(作曲家が)したがわなければならなかった」と、ジョスカン独自の高い創造性を評している。
ぼくも、ちょっと手を施すだけで音楽に異なる色が出る見事な手腕は、稀に見るすごい創造性だと思う。
ただ残念だったのは、コンサートがコンサートホールで行われたことだった。コンサートホールの音響は悪くないのだが、教会に比べると残響が短すぎる。
もしこのコンサートが教会で行われていたら、ジョスカンの音楽をもっとすごいと感じたと思う。
とはいえ、ジョスカンの音楽を満喫できるまたとない機会だったのは間違いない。カーテンコールでも、聴衆が足で床をドンドン叩いて大喝采していた。
(2022年7月19日) |