指揮者のレネ・ヤコブスはベルリン・ドイツ国立歌劇場において、モンテヴェルディ・ツィクスルとして〈オルフェオ〉、〈ウリッセの帰郷〉、〈ポッペアの戴冠〉の3つの代表オペラ作品の上演と、ミサ曲〈聖母マリアの晩課〉のオペラ化を計画した。一時は予算不足で計画そのものが頓挫したが、作品毎に他のオペラハウスと共同制作することで計画を実現。今回は〈オルフェオ〉、〈ウリッセの帰郷〉に続く第3段で、パリのシャンデリゼー、ブリュッセル、ストラスブルクのオペラハウスとの共同制作である。
ヤコブスのモンテヴェルディ・ツィクスルのポイントは、日本でいえば江戸時代初期に書かれたモンテヴェルディの作品を現代と結び付けて、現代の舞台でどう上演するかということだ。
〈ポッペアの戴冠〉は、モンテヴェルディ最後のオペラ作品。書き上げられたのは1642年だった。弟子たちが一部作曲しているとはいえ、モンテヴェルディは当時75歳。翌年、他界している。
この作品は、ローマ皇帝ネローネ(暴君ネロ)が自分の皇后オッターヴィアを追放して、ローマの武将オットーネの妻ポッペアと結婚してしまう話。神話上の人物を題材としたこれまでのオペラ作品と異なり、過去の実在人物を取り上げたものとしては、最初のオペラ作品だと見られている。だから〈ポッペアの戴冠〉を現代と結び付けるには、当時の社会を現代にどう読み替えるかが一番のポイントとなる。
ヤコブスと演出のマクヴィカーは、当時の社会をアメリカ化された表面的で快楽主義的な社会と読み替えた。ネローネはマイケル・ジャクソン風の髪型に、皮のズボンを穿いた弱い人間。ポッペアはネローネを利用して有名になることに憧れるしたたかな人間なのだ。
それに対して、妻を奪われる夫のオットーネはうだつの上がらないサラリーマン。出張から帰ってきて妻がネローネに寝取られたことを知る。
この構想自体には、十分納得できるものがある。モンテヴェルディがネローネとポッペアにはアリアの形で快楽的、官能的に歌わせているのに対し、夫を奪われるオッターヴィアと妻を奪われるオットーネにはレチタティーヴォを中心に悲歌的に歌わせているからだ。
ただ問題は、ネローネとポッペアの動きに知性のなさ、軽薄さを強調しぎたことにあるように思う。モンテヴェルディの音楽は喜怒哀楽に溢れた人間のまじめなドラマを、ある時は悲しく、ある時は面白おかしく、またある時は叙情的に描いている。こうしたモンテヴェルディの音楽の妙が単純に誇張されたネローネとポッペアの動きによって薄れがちとなる。むしろ後半のように、ネローネとポッペアをあまり動かさないほうが、モンテヴェルディの音楽によってそれぞれの人間像がいきいきと浮かび上がってきた。
しかし、これだけ端役の歌手まで粒が揃った公演も珍しい。ほとんどがまだ若い歌手たちだが、それぞれ独自の個性で感情豊かに歌い上げていた。若い個性がモンテヴェルディの人間劇をより多彩にしてくれたともいえる。
指揮のレネ・ヤコブスの存在も忘れてはならない。コンチェルト・ヴォカーレに淡々と演奏させているようで、そこからはモンテヴェルディの音楽に込められた人間像が風情豊に描き出されていた。
それにしても、モンテヴェルディの音楽はすばらしい。形式にこだわらず、自由闊達に書かれた音楽は350年経った現在もいきいきと蘇ってくる。不朽の傑作だ。
ふくもとまさお
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