2019年3月16日掲載 − HOME − ぶらぼー! − 音楽インタビュー
指揮者アルブレヒト、ベートーヴェンについて語る

急に冷え込んで雪のちらつくベルリン。ベルリン滞在中の読響常任指揮者ゲルト・アルブレヒト氏に1月に予定されている読響とのベートーヴェン・チクルスについて伺うため、ベルリンのご自宅を訪ねた。


f:今回、どうしてベートーヴェンだけのチクルスを選ばれたのでしょうか。


a:わたしはフルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤンなど伝統的なベートーヴェンを聞きながら大きくなってきました。しかし、フルトヴェングラーはパトス的でワーグナーすぎるし、カラヤンはなめらかできれいすぎる。若い頃はシューリヒトとクレンペラーのベートーヴェンが気に入っていた。もちろん、わたしも何度となくベートーヴェンを指揮しました。しかし、いつも伝統的なベートーヴェン像は正しくない、という思いがあった。それで、突然ベートーヴェンの指揮をぷつっと止めてしまった。再びベートーヴェンを指揮したのは8〜9年後でした。


ベートーヴェンはメトロノームを愛用していましたね。メトロノームは金属が摩耗すると、必然的にリズムが早くなる。それで、ベートーヴェンのリズムは早い。当初はこう考えられていました。しかし、イギリスの研究家の努力によってこれは間違いだということが判明した。メトロノーム記号は作曲家の基本的な考えしか示さないわけですが、わたしにとってベートーヴェンの速度指示がとてつもなく早いと思うところがある。たとえば、ハンマークラヴィーア・ソナタ(ピアノ・ソナタ第29番、変ロ長調)です。指示通りに早く弾けるピアニストは誰もいません。しかし、ベートーヴェンの指示はアイディアとしては正しい。


わたしは84年頃、ベートーヴェンの交響曲を古楽器と現代楽器で演奏し比べてみよう、と提案しました。コンチェルト・ケルン(古楽器使用)とドイツ青少年室内管弦楽団とともに何回もベートーヴェンの第2番を演奏した。前半が古楽器で、後半が現代楽器です。それで、古楽器の弓を使ったほうが格段に早く演奏できることがわかったのです。古楽器の弓には毛どめがなく、現代楽器の弓が平均52gなのに対して古楽器の弓は34gしかないからです。


こういう経験がわたしのベートーヴェン像を全く違うものにしてしまいました。


f:伝統的な演奏法に反感を抱いていらしたのでしょうか。


a:動物的な感からそうではないと思っていた。ベートーヴェンの伝統的スタイルは間違いだと。わたしはベートーヴェンについて勉強するとともに、古楽器でのコンサートを通して自分独自のベートーヴェン像を感じてこうでなくてはならないと思うようになった。


たとえば第5番では、パ-パ-パ-パーンは間違いで、パパパパーンが正しい。それでわたしが正しいと思うベートーヴェンを日本で聞いてもらいたい。これが今回ベートーヴェンを選んだ理由です。


f:新しい解釈で指揮を開始された当時、聴衆は素直に受け取めたのでしょうか。


a:ショックを受けた方もあると思います。それよりはまずオーケストラがびっくりしたのでは。しかし、演奏家から拒否されたことはありません。


マーラーは伝統をだらしなさの象徴としていますが、これはウィーン気質を念頭においたものでした。伝統は美しく、すばらしい。しかし、伝統につかってばかりはおれません。


フレージングの問題もあります。ベートーヴェンは古典派の作曲家というよりは、ロマン派の作曲家です。しかし、ベートーヴェンのフレージングはマーラーやプロコフィエフ、ストラヴィンスキーのものとは違う。ベートーヴェンのスフォルツァンド(突然強いアクセントをつけての意)はこれら作曲家のものとは全く違いますね。


西欧音楽の演奏スタイルの伝統はバロック音楽からきています。バロック音楽の演奏スタイルは当時演奏家自身に備わっていました。しかし、現代の演奏家はそれを持っていない。現代の演奏スタイルは『ソフトクリーム』サウンドです。(ベートヴェンには)しなやかさと敏捷さがないといけない。もちろん、ワーグナーのパトスもすばらしいのですが、ベートーヴェンのものとは違う。まず、この違いを理解して、演奏しなければなりません。


f:ベートーヴェンについては、新たな研究や新全集、新校訂版が出てきていますが、これらもマエストロのベートーヴェン解釈に影響を与えているのでしょうか。


a:もちろんです。わたしは音楽学者の息子です。大学では音楽学も勉強しました。

古楽器の演奏法について勉強することがたいせつなのです。それによってフレージングに透明性が必要なことがわかります。


ベートーヴェンの自筆譜自体が非常に判読しにくいという問題もあります。ウィーンで交響曲第2番と第4番、第7番のスケッチを見たことがありますが、まったく判読できなった。ベーレンライター社の最新版には間違っている箇所もある。しかし、音楽を理解して当時の古楽器の可能性を知っておれば、自然と解釈が生まれてきます。


f:伝統的なベートーヴェンを聞いてきた日本人には、マエストロのベートーヴェンは早すぎるかもしれませんね。


a:そう思います。しかし、それは慣れと、納得させることができるかどうかの問題ですね。敢えていえば、ベートーヴェンはこれまでの作曲家の中で最も激しく、ドラマティックな作曲家です。ベートーヴェンを指揮するには莫大な体力とエネルギーが要求される。ベートーヴェンの音楽には豹や虎のような激しさと早さ、簡潔さがあるからです。ブルックナーやワーグナーはゆったりと座っていても演奏できる。しかし、ベートーヴェンは硬い椅子に座って背筋を伸ばしていないと演奏できません。


”第9”の第1楽章を終わっただけで、わたしはもう病院にかつぎこまれてもいいほど消耗しています。


f:ベートーヴェンの音楽の激しさはベートーヴェンという人間自身からくるものですか。


a:もちろんです。ベートーヴェンの顔を見ればわかります。ベートーヴェンの楽譜と格闘しなければなりません。


f:そうすると、指揮者もそういう強さと人間としての大きさを持っていなければなりませんね。


a:その通り。現代社会ではカリスマ性を持った偉大な人物がますます少なくなっています。それは、はっきりと否定できる人間がいなくなったからです。


f:そうすると、将来ベートーヴェンを指揮できる指揮者がいなくなってしまうのでは。


a:現代人は自動車のように流線型の人間になってしまった。しかし、これはベートーヴェンだけにいえることではありません。すべての作品に当てはまる。指揮者からピアニスト、バイオリニストなどすべての演奏家がそうなってきましたからね。


f:しかし、こういう時代でもベートーヴェンを好む聴衆がたくさんいます。どうしてなんでしょう。


a:確かにおかしい。モーツァルトはあらゆる作曲家の中でも天才中の天才です。しかし、一番好んで聞かれるのはベートーヴェンとワーグナーです。聴衆がベートーヴェン音楽のとてつもない力とワーグナーの陶酔性を感じているからではないでしょうか。


f:マエストロのベートーヴェン解釈はこれからさらに変化していくと思われますか。


a:そう希望します。人間はどういう形にせよ変化しながら生きています。硬直は死を意味します。人生は変化です。もしわたしが1秒でも自分の解釈が変化していないと感じることがあれば、自殺してしまうと思います。


聞き手:ふくもとまさお

(読響オーケストラ????年?月号掲載)

ゲルト・アルブレヒトさんは、2014年2月亡くなられました。ご冥福を祈ります。
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