2019年3月18日掲載 − HOME − ぶらぼー! − 音楽インタビュー
指揮者アルブレヒト、ヴァグナー(ワーグナー)の”指輪”について語る

4月に読響の常任に就任したアルブレヒトが古巣で再び”指環”を振るというのでハンブルクまで足を運んだ。聞いたのは5月27日の『ジークフリート』。歌手の歌い易いテンポを考えたマエストロの指揮には緻密な計算があり、ヴァグナー(ワーグナー)を知り尽くした熟練の味が感じられた。


翌日、マエストロの事務所でインタヴューすることになったのだが、マエストロにお会いするや、マエストロのほうから「どうです。すばらしかったでしょう。ハンブルクの”指環”は世界でも有数のすばらしい公演ですよ。いい歌手がそろっていますからね」と、いきなりインタヴューの主導権を握られてしまった。ワーグナーの話となると、マエストロにはもうブレーキが聞かない。


a:ハンブルクでは、すごく早い段階でワーグナーを歌える歌手と契約することに特別努力したからなんです。というのは、世界でワーグナーを歌える歌手は限られていますね。ジークフリートを歌えるテノールは3人程度、ブリュンヒルデの場合も3〜5人しかいません。ボータンも5人程度です。


”指環”は演出が非常に難しい作品です。バイロイトでは、ヴィーラント・ワーグナーが革命といっていい演出をしました。しかし、当時ヴィーラントは激しく非難されています。その後再び伝統的な演出が続きますが、次に登場したのがシェローです。当時はシェローも厳しい非難を受けました。もちろん、『ラインの黄金』から『神々の黄昏』までをひとつの輪に結びつけるのは非常に難しい。各作品それぞれがまったく違う特徴をもっていますからね。しかし、(ハンブルクでは)演出家のギュンター・クレーマーが作品ひとつひとつをうまく把握して、プレミエから6年たったいまも十分に楽しめるすばらしい仕事をしてくれたと思います。特に『ラインの黄金』と『神々の黄昏』は天才的だと思います。


ワーグナー歌手には経験が必要です。ボータンを歌うには40歳や45歳、50歳になっていなければなりません。(ワーグナーのような)重い役を歌うには、声がからだの中で固まっていなければならない。そうでないと、声がすぐにつぶれてしまいます。


昔は、歌手が各オペラハウスに所属していましたし、飛行機もコマーシャリズムもなかった。同じところに腰を据えてじっくりと歌っておれました。それは声にはたいへんいいことだった。しかし、そういう時代はもう終わってしまいました。


これが現在の大きな問題で、10年や20年先にはどうなるのでしょう。R.シュトラウスの『エレクトラ』や『影のない女』、ワーグナーの”指環”や”トリスタン”を歌える歌手が残っているのでしょうか。


おもしろいことに、オーケストラだけでも『奇跡』を起こすこともできないわけではありません。歌手が弱くても、すばらしい公演は可能です。しかし、歌のない”指環”なんて考えられますか。


f:”指環”の場合、時間の流れといいますか、各登場人物の内面と外面の変化が非常にゆっくり展開していきます。そのため、舞台、歌、オーケストラが互いに緊迫感を維持していかなければなりませんね。


a:その通りです。それから、もうひとつ非常にたいせつな点があります。


コペンハーゲンで“トリスタン”を指揮した時でした。聴衆はわたしのテンポが非常に早いというのです。しかし歌手のヴィントガッセンは、いやアルブレヒトのテンポは非常に遅い、と評してくれました。たとえば、クナッペルツブッシュの指揮は遅いといわれていますね。しかし、まったく遅いとは思いません。長い音符のところでは早いのですが、短い音符のところでは十分に時間を取っています。これがポイントなのです。歌手がドイツ語ではっきり歌えるテンポでなければならない、ということです。これが”指環”を演奏する秘訣なのです。


わたしは往年のワーグナー大歌手のもとでこの点について学ぶことができたことを非常に感謝しています。たとえば、ヴィントガッセンやナイトリンガーなどは長い音符のところで指揮者のテンポが遅くなると、歌手のほうでテンポを上げてオケより先を走っていました。


f:ハンブルクの”指環”はマエストロにとって3回目になりますね。1回目がマインツで2回目がカッセルでした。ハンブルクの”指環”はマエストロにとってどういう意味をもっているのでしょう。


a:マインツの”指環”は保守的な公演で、当時マインツの2000年記念ということで予算もあり、ヴィントガッセンやナイトリンガーなどの大歌手に歌ってもらうことができました。カッセルの”指環”はヴィーラント・ワーグナーの演出以来最もセンセーショナルな演出で、漫画をベースにした舞台造りでした。しかし、『ラインの黄金』と『ワルキューレ』までは成功したのですが、『ジークフリート』と『神々の黄昏』はうまくいかず、その間にベルリンで常任指揮者(ドイツ・オペラ)となったため、『ジークフリート』と『神々の黄昏』にはそれほど携わっていません。その意味からして、ハンブルクではじめて一人の演出家とともに始めから最後までじっくり”指環”を造り上げてきた、という気持ちがあります。


f:3つの”指環”の間でマエストロの音楽的解釈が変化していますか。


a:もちろんです。作品と長く付き合っていけばいくほど、解釈も変化していきます。おそらく、わたしは今世紀では一番若く”指環”を振っているのではないでしょうか。24歳の時でした。まあ何とか振ることができたのですが、”指環”を内面で捕えるには莫大な時間を必要とします。


f:『ジークフリート』は5年前にプレミエでした。それ以降もマエストロの音楽的解釈に変化が見られますか。


a:常に変化しています。たとえば、ヴォルフガング・シュミット(ジークフリート役)とは昨日がはじめてだったのです。これまではハインツ・クルーゼでした。その晩だけでも歌手が違うと、違った演奏になりますね。また、ガブリエーレ・シュナウト(ブリュンヒルデ役)は昨日少しナーヴァスになっていました。そうすると、歌手の調子に合わせて演奏を変えていかねばなりません。こういう変化は公演毎に見られます。


f:ヴィーラント・ワーグナーとパトリック・シェローの大演出以降、”指環”を現代社会や政治のメタファーとして解釈する傾向がありますが、ハンブルクでは演出家のギュンター・クレーマーがこれまでの傾向とはまったく違うように演出していますね。


a:まさしくその通りで、意識的にこれまでの傾向に抵抗しようとしました。クレーマーは社会・政治的で、神話的な演出を嫌ったのです。そうではなく”指環”を劇作品として表現しようとしました。”指環”をめぐる解釈は数えきれません。図書館に行けば、ショウペンハウエルやニーチェまでたくさんの人が解釈しているのがわかります。しかし、『ラインの黄金』や『ジークフリート』それぞれをひとつの劇作品として見ると、非常におもしろい。これがクレーマーのアイディアです。


いまでも覚えていますが、プレミエ前の記者会見で今回の”指環”の解釈は何かといろいろ質問がでました。しかしクレーマーは、


一つ一つの作品を別々に捕えて演出するので、まず4つの作品が上演されてから記者会見をしましょう、そうすれば解ってもらえると思います、はじめにいろいろと述べるつもりはありません、と答えています。


f:たくさんの日本人がワーグナーの音楽に特別の愛着をもっています。マエストロから見て、日本人はどうしてこれほどワーグナー神話に熱中してしまうのでしょう。


a:典型的なドイツ音楽はと聞かれますと、わたしはブラームスの一番とベートーヴェンの五番を挙げたいと思います。この2曲はわたしの就任披露演奏会で演奏されました。それでは、典型的なドイツ歌劇というと、モーツァルトやベートヴェンでもなく、R.シュトラウスでもありません。それはワーグナーです。日本人はドイツ音楽にたいへんな親近感をもっていますね。ドイツ音楽がこれほど愛されている国は、ドイツ以外では日本しかありません。日本人はドイツ音楽に特別な思いをもっている。それがオペラではワーグナーなのだと思います。


f:マエストロの指揮で読響に演奏会形式で”指環”をやってほしいとの要望が読響の会員の中にあります。やってみたいと思われますか。


a:それは、いいアイディアだ。歌手は顔ぶれが決まっていますから、歌手をそろえるのは問題ないと思います。しかし、そのためにはオーケストラがたいへんな準備をしておかなければなりません。弦楽器もそうですが、特にトロンボーンやトランペットなど金管楽器がたいへんです。時間が必要です。演奏会形式でもすばらしい公演になると思いますよ。


f:ワーグナーの作品では、終わりに近づくにつれてオーケストラの響きが硬くなってしまいがちです。しかし、昨日の『ジークフリート』は最後まで柔らかい響きが保たれていたのにたいへんびっくりさせられました。


a:いきなりマラソンを走ると、からだがゆうことをきかず、硬くなってもう走れなくなる。音楽でもヴェルディやモーツァルトばかりを演奏しておれば、2時間半から3時間程度しか演奏できません。長距離が走れるようになるには、いつもトレーニングしてからだと筋肉を鍛えておかなければなりません。音楽でも同じことで、特に金管楽器に相当の準備が要求されます。


もうひとつ大切なことは、指揮者も作品が長くなればなるほどオーケストラを常に監視してコントロールしなければならないということです。わたしは第1幕で30回程度、第3幕になると100回もオーケストラに抑えるよう指示します。たとえば『ジークフリート』の第3幕はじめのさすらい人の音楽が終わると、オーケストラには極力抑えるよう指示します。


バイロイトのようにオケピットが舞台下に隠れてしまっておれば問題ないのですが、ハンブルクのように一般のオペラ劇場ではオケピットが舞台の前にオープンな形で配置されていますので、この点が非常にたいせつです。


読響と”指環”を、というのは願ってもないすばらしいこと。しかし、特に金管楽器がマラソン演奏に向けて最後まで音が硬くならないよう特別に訓練しておかねばなりません。


聞き手:ふくもとまさお

(読響オーケストラ1998年6月号掲載)

ゲルト・アルブレヒトさんは、2014年2月亡くなられました。ご冥福を祈ります。
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