2019年3月13日掲載 − ブラボー!
コンサートマスターに聞く
ローター・シュトラウス(シュターツカペレ・ベルリン)

ローター・シュトラウス、54歳。ベルリンの壁ができた1961年、東ベルリンで生まれる。5歳でバイオリンをはじめた。


「音楽家の家族に生まれ、小さい時から音楽とともに育ちました。でも当時は、音楽が自分の人生の一部になるとは思っていませんでした。ただ音楽がないと、何か失ったと思うだろうなとは感じていました」


シュトラウスさんは3人兄弟の二番目。両親がピアノ三重奏ならできると思い、二番目のシュトラウスさんがバイオリンをはじめることになる。その後、音楽専門の中学、高校から音大へと、英才教育を受けた。


そして学生時代の22歳の時、シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)のコンサートマスターに選ばれた。


「 歴史のいたずらです。東西2つのドイツがあったからです。それが、私の人生を変えてしまいました。私の前任者が国外公演した時に、西ドイツに亡命してしまったのです」


それから6年後、ベルリンの壁が崩壊した。東西ドイツが統一される。


「私はベルリンに残り、前任者は今、西ドイツの小さな町で暮らしています。私は、歴史のいたずらでコンサートマスターになれたことをありがたく思っています」


実際にコンサートマスターとして活動するのは、音大卒業後の23歳の時だった。


「舞台の真ん中の最前列に座るのがコンサートマスター。立ち上がって音合わせを指示して、また座ればいい。指揮者が登場すると、握手をすればいい。ソロがあれば、うまく演奏すればいい。他の楽団員とは意志の疎通をよくすればいい。はじめは、その程度だとしか考えていませんでした。


もちろん、それだけでは済まないのはわかってきました。


コンサートマスターというのは、楽団員と指揮者を結びつける特別なポジションです。オーケストラの中でも、オーケストラの楽団員同士で対話する中心的な存在でもあるのです。


音楽的には、楽団員みんなが室内楽の楽団員のようにお互いに『対話』します。演奏中、目線で合図したり、からだの動きで合図し合います。オーケストラ内では人間的にも関係が密になり、プロとして仲良くつき合っています。


でも、人間関係ではドロドロした難しい問題があるのも事実です。ただ、コンサートマスターとしての仕事と、人間関係というプライベートな面を分けるようにするしかないと思っています」


統一された現在、オーケストラには東西ドイツ出身の楽団員もおれば、国外出身の楽団員もいる。それぞれが、様々な社会背景を持っている。


「社会では、出身や文化の違いなど社会的な違いが問題となることがあります。でも音楽家には、その違いを乗り越えて共有できるものがたくさんあります。音楽は、体制や国境を超えて分ち合えるものなのです」


シュトラウスさんはまた、2人の巨匠の元でコンサートマスターを勤めてきた。


「オトマール・スウィトナーが退任した時と、ダニエル・バレンボイムが音楽監督に就任した時では、2人の年齢に大きな差がありました。それだけでも、大きな違いでした。


また文化的にも、2人には大きな違いがありました。どういう文化の元で育ってきたのか、どう成長してきたのか。それが、2人の個人を形成しています。そのため、2人には楽団員とどう対話し、どう音楽を造っていくかで、大きな差がありました。


客演指揮者の場合は、指揮者が十分に準備してしっかりした音楽造りのコンセプトを持っておれば問題はありません。でも、いつもそうだとは限りません。そういう時は、コンサートマスターが楽団員を引っ張ります。目線やからだで合図をして、音楽をまとめます。それは、いかなる状況においても最高の音楽造りをしたいからです」


2006年のことだった。公演でパリにきていた。公演後、他の楽団員と一緒に街に出た。その時、車にひかれ、意識不明の重体となる。


頸椎複雑骨折。左手の半分が麻痺した。左手にはまったく感触がない。バイオリンを続けることなど考えられなかった。


「私は、バイオリンしか弾けません。それ以外のことをしたいとも思いませんでした。だから、交通事故でからだが麻痺しても、またバイオリンを弾けるようになりたいと思いました。


楽器を弾くことが何とすばらしく、感動的なことなのか。人々にことばでなく、音楽で感情を伝えることができるのは、すばらしいことだ。そう思うと、もう一度弾けるようになりたいという思いが強くなりました」


それが、障害と戦う強い意欲となった。しかし5カ月間、バイオリンの弾けない日々が続く。


「私の人生で一番つらい時でした。事故から5カ月経ってはじめて、指が少し動くようになります。指が少しずつ反応するようになってきたのです。それで、再び楽器を手にしたいという気持ちになりました。今から思うと、絶対にまた弾けるようになると信じることが、大きな心の支えになったと思います」


でも、感覚が完全に元に戻ったわけではない。


「首を回して振り返ることができないなど、肉体的にもまだ完全には回復していません。指には、まだ感触の戻っていないところもあります。痛みも残っています。


しかし、この体験が私に試練を与え、成熟させてくれました。誰にも同じような体験はしてほしくありません。でもこの体験なくして、音楽家としての今の自分はありません」


来年2月、久しぶりの日本公演がある。ブルックナーの交響曲とモーツァルトのピアノ協奏曲のチクルスだ。


「チクルスとは短い期間で、作曲家がどう変わってきたのか、作曲家の40年の人生を旅するものです。わずか2年の間で作品の響きや和声がどう変わったのか、普段の演奏では全く気づかないことを感じることができます。演奏家にとっても、わくわくする発見があります」


シュトラウスさんと日本の関係は長い。ドイツ以外で最も頻繁に訪れているのが日本だ。


「クラシック音楽に対する日本のファンのみなさんの熱狂ぶりはすごい。それを肌で感じ、私も感動してきました。しかし、長い間日本で演奏する機会がなかった。それをたいへん残念に思っています。特に今回は、東日本大震災で被害を受けた仙台で公演できることをとても大切だと思っています」


聞き手:ふくもとまさお

(音楽の友2015年9月号に掲載)
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