2019年3月12日掲載 − ブラボー!
戦時中のフルトヴェングラー

フルトヴェングラーの戦時中の過去については、すでにいろいろと語られてきた。


音楽と政治は無関係との信念を貫き、戦時中、最後の最後までドイツで音楽活動を続けたフルトヴェングラー。戦時中の音楽活動はナチの支援なしには不可能であった。そうしたことから、戦後、ナチ協力者として疑いをかけられ、非ナチ化裁判で無罪判決を受けて音楽活動を再開できるようになるまで、2年の歳月を要している。


ナチ体制下において、劇的に進行する政治的な動きを感知しようとせずに、ひたすら音楽活動を続けたフルトヴェングラーの行動は、政治音痴のレッテルも貼られた。


ただ、カナダ生まれの学者で、演出家のミシャ・アスター(Misha Aster)が書いた「帝国オーケストラ(Das Reichsorchester)」(Siedler Verlag、2007年)を読むと、フルトヴェングラーの当時の思惑も見えてくる。


フルトヴェングラーが常任指揮者を務めていたベルリン・フィルは、世界恐慌後1930年代に入り、ベルリン市から十分な補助を得ることができずに、存続の危機に曝されていた。この状況下でベルリン・フィルが音楽活動を続けていくためには、ナチ政権から資金援助を得るしかなかった。そのため、フルトヴェングラーは、ナチ政権の宣伝大臣ゲッベルスに資金援助を乞う。それに対してゲッベルスは、世界有数の指揮者とオーケストラを宣伝省の管轄下に置き、世界にゲルマン民族の優秀さを誇示するためのプロパガンダに利用する。


こうして、両者の利害関係が一致したのだった。


だが、その結果フルトヴェングラーは、ナチが自分とベルリン・フィルの音楽活動に政治的な影響を与えないよう最前線で防波堤となり、音楽と政治は無関係とするフルトヴェングラーでさえ政治的にならざるを得ない状況となった。フルトヴェングラーは、ユダヤ人音楽家やユダヤ人楽団員を助けるほか、ヒンデミットの歌劇「画家マチス」がナチによって上演が禁止されると、交響曲「画家マチス」を初演して、「ヒンデミット事件」という論文を発表するなど、作曲家ヒンデミットを迫害するナチに対してヒンデミットを擁護する態度を貫いた。


フルトヴェングラーの抵抗は、ある意味でナチの庇護下で可能な抵抗だった。同時に、その庇護の下で音楽の自由を追求し、自己の内面を貫徹せざるを得なかった。


この状態は、フルトヴェングラーにとって矛盾だと思われる。だが、フルトヴェングラーはなぜ、この矛盾から抜け出すために、亡命して音楽という非政治的な手段で抵抗しようとしなかったのか。


それは、今となっては、憶測するしかない。


ただ、フルトヴェングラーが戦時中、ナチの庇護下にあったにもかかわらず、いやむしろ、その庇護下で活動せざるを得なかったことから、とてつもない混沌の中にいたのは確かだ。そしてその混沌の中でこそ、フルトヴェングラーの音楽が結実し、至高の音楽を残すことができたのではないかと思う。


ふくもとまさお

(AltusのCD版(2008年7月)に掲載)
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