2019年3月26日掲載 − ブラボー!
ヘンツェ80歳記念特別演奏会

9月はじめにはじまった秋のベルリン音楽祭では、作曲家ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ80歳を記念してヘンツェの作品がたくさん取り上げられている。しかしベルリン音楽祭の主催者は、《午後の曳航》の上演には一切関心を示さなかったという。《午後の曳航》がベルリンの直前にザルツブルク音楽祭で上演(8月26日)されることになっていたからなのか。それとも、他にいろいろ事情があったのか。ヘンツェとベルリンには、切っても切れない深いつながりがあるはずなのだが。。。


《午後の曳航》は、ヘンツェが90年5月に三島由紀夫の「午後の曳航」を題材にベルリンで世界初演したドイツ語版《裏切られた海》を逆に日本語版化したもの。日本語版といえど、《裏切られた海》の約半分が加筆、改作されて改訂されたという。実際、ドイツ語と日本語の語感の違いが意識されているのがよくわかる。日本語のアリアがあるところでは、音楽は決して強くならない。柔らかい和声のアンサンブル的な音楽が組み合わされている。ヘンツェが心酔したワーグナーの“トリスタン”の和声が感じられるところもある。


話は、短い場面場面が次から次へと展開していき、場面と場面の間には次の場面に移行するための間奏が入っている。間奏と各場面の音楽構成で見ると、ベルクの《ルル》が念頭にあったのではないかとも思われる。サキソフォンが竜二のアリアをリードしたり、ピアノが登のナイーブさを表現したりする。ただヘンツェの音楽には、ベルクと違って、ハッとさせられて、心の裏側へ突き刺さるような鋭い音楽がない。強い音楽でも、どこかにきれいな和声が感じられるのだ。


もう一つ《午後の曳航》の特徴は、儀式の音楽であることではないだろうか。首領をトップとした少年グループが登場するところでは、必ずといていいほど太鼓が入る。首領が和太鼓で、その“子分たち”は小太鼓なのだ。特に、和太鼓が音楽を儀式化させる。話の筋自体は、少年グループを失望させたことで竜二が少年グループによって“処刑”されるのだが、音楽を儀式化させることによって、房子に対する愛のために海を捨てることになる竜二の内面の奥底にあるもうひとつの声が儀式によって呼び覚まされ、少年グループという形態として具現されているかのようにも感じられる。


そして、クライマックスは竜二処刑の儀式だ。儀式を開始させるのは和太鼓で、竜二はたくさん組み合わされた音楽の波に“曳航”されるかのように死に導かれ、和太鼓が儀式の終わりを告げる。


しかしここでも、音楽は決して鋭く突き刺さってこない。常に和声があるのだ。だから、クライマックスは劇的な悲劇とはならない。少年グループの暴力は非情な暴力だ。でも、いかに凶悪なものでも、人間の行為の一部であって、そこから目を背けるべきではない、見捨てるべきではないといっているかのようだ。


元々、この公演は日本で日本語版《午後の曳航》を初演した読売日本交響楽団が演奏することになっていたという。日本と関係の深い作品だけに日本のオーケストラが演奏できなかったのはたいへん残念だった。しかし、トリノのイタリア放送交響楽団はたいへんまとまりのあるいいオーケストラ。特に弦楽器が透き通るようなきれいな音を出していた。指揮のアルブレヒトも、これまでヘンツェの作品をよく取り上げてきだけあって、ヘンツェの意図を汲取って和声中心の音楽造り。これが、イタリア放送交響楽団の特徴とうまくマッチしていた。


ソリストはそれぞれ粒が揃っていたが、その中でもとりわけ、ドイツで活躍する小森が首領の悪役にぴったりで光っていた。登役の高橋は熱演だったが、もう少し登のナイーブさが出ていればもっとよかった。竜二役の三原には、竜二の弱さのようなものが出ていた。房子役の緑川は、音を口の中で響かせるからか、日本語のテキストがほとんど聞き取れなかったのが残念。


いずれにせよ、《午後の曳航》の公演は大成功だったといっていい。


現代オペラである上に、日本語による公演。また、ドイツ語の字幕もない。さらに、ヘンツェも体調が良くないことから急遽ベルリン訪問をキャンセルするなど、“悪条件”が重なった。それにもかかわらず、フィルハーモニーの大きなホールが90%も埋まってしまったのだ。演奏後には、暖かい拍手とブラボーが出ていたが、これは特に、不在のヘンツェに向けて送られたものではないだろうか。


ふくもとまさお
(ベルリン、2006年9月10日)

• ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ:歌劇《午後の曳航》、演奏会形式、ドイツ初演
原作:三島由紀夫
原曲:ヘンツェ/歌劇《裏切られた海》
日本語歌詞:藁谷郁美、猿谷紀郎
指揮:ゲルト・アルブレヒト
演奏:イタリア放送交響楽団(RAI)
出演:[黒田房子]緑川まり、[黒田登/三号]高橋淳、[塚崎竜二]三原剛、[首領/一号]小森輝彦、[二号]ツヴィ・エマヌエル-マリアル、[四号]クワンイル・キム、[五号]平野和
2006年8月31日(木)、ベルリン・フィルハーモニー大ホール

(Classic Japan 2006年9月05日号掲載)
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