2019年3月15日掲載 − HOME − ぶらぼー! − オーケストラコンサート
室内オーケストラとは

「室内管弦楽団」や「室内オーケストラ」といわれても、いまひとつピンとこない。一般にオーケストラと呼ばれる大編成オーケストとどう区別すればいいのだろうか?


単に、20人前後の小編成オーケストラのことをいうのか。それなら、大編成オーケストラを曲目に応じて縮小すればいい。ただそれでは、室内オーケストラは大編成オーケストラの一部にすぎなくなってしまう。


1800年以前に書かれた作品のほとんどは、小編成オーケストラで演奏される管弦楽だ。たとえば、モーツァルトやハイドンなどの交響曲が演奏される時のオーケストラ編成を思い浮かべればいい。19世紀初期に作曲されたベートーヴェンの交響曲でさえも、室内オーケストラで迫力満点だ。


交響曲はその後、19世紀末になって、100人前後の大編成管弦楽へと膨張していく。たとえば、ブルックナーやマーラーなどの作品。ただその反動が、20世紀はじめに現れ、アンサンブル的要素の強い室内交響曲も作曲されるようになる。たとえば、シェーンベルクの〈室内交響曲〉(op.9)などが、その例だ。現代曲になると、大編成のオーケストラで演奏される作品はますます少なくなる。


こうして見ると、実際に大編成オーケストラで演奏しなければならない作品は、少数派にすぎない。


だから、室内オーケストラが必要なのか?


ベルリンには現在、バロック音楽専門の室内オーケストラを含めると、全体で20前後の室内オーケストラが存在する。これは、ベルリンのクラシック音楽界の多様性を示している象徴だ、とでも誇示したいところだが、ひとつの都市にこれほどたくさんの室内オーケストラがあって大丈夫なのか、とむしろ心配にもなる。数だけでいえば、おそらく世界一ではないだろうか。


これらたくさんの室内オーケストラを見ると、古楽器でバロック音楽を演奏するもの(ベルリン古音楽アカデミーなど)、17世紀の音楽を中心に活動するもの(カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ室内管弦楽団など)、現代曲だけを専門とするもの(ユナイテッド・ベルリンなど)、教会の合唱団と共にオラトリオや受難曲を演奏するもの、若い演奏家の集団、青少年向けコンサートなど教育的目的を主眼とするもの、それに今回来日するハインツ・シュンク・ベルリン室内管弦楽団のように、ある演奏家が中心となって結成されたものなど、それぞれが独自の特徴を持っている。


これらのうち、市の公的補助で運営されている室内オーケストラは、アンサンブル・オリオール(本サイト掲載時点では、合併してポツダム室内アカデミーとして活動)だけにすぎない。


もうひとつ大きな特徴は、室内オーケストラには、ベルリンの大編成オーケストラで活躍する楽団員が多いということだ。3つのオペラハウスのオーケストラや、ベルリンフィル、ベルリン響(BSO、現ドイツ響(DSO))、2つの放送響の楽団員が、トランプを切り直したかのように、ミックスされている。


はて、一流のオーケストラの楽団員がなぜとも思うが、一流のオーケストラの楽団員ほどこの傾向があるようだ。 


オーケストラというのは、特に弦楽器の場合がそうだが、楽団員それぞれのクリエイティブな部分を殺すことによって成り立っている。たくさんの演奏家が勝手に、ここはこの弓順で、ここはフォルテで、ピアノでといい出したら、全く収拾がつかない。それを音楽的にまとめるのが指揮者の役割。楽団員は、指揮者の音楽に“服従”することが要求される。でも、指揮者の音楽にどうしても満足できない場合も出てくる。その場合は、今日は仕事と割り切るしかない。


でも、演奏家も人の子だ。どこかで、自分自身の音楽を表現する場を欲するようになる。その場を提供してくれるのが、室内楽なのだ。室内楽では、小さい編成の合奏や重奏になるほど、個々の演奏家の責任が重みを増し、自分の音楽的志向を実現しやすくなる。また、他の演奏家たちと一緒にアイディアを出し合いながら、音楽を仕上げていくという創る楽しみも生まれる。


ただ人数が増えれば増えるほど、個々の演奏家にかかる重みが減るのも事実。そうすると、オーケストラで普段演奏しているのと変わらなくなる場合もある。そのため、室内楽として楽しめるギリギリの線は、8重奏までといい切る演奏家もいる。


たとえ人数が増えても、今回来日のハインツ・シュンクさんのように、オーケストラの演奏家であっても、室内オーケストラの中心的存在になってしまえば、オーケストラは自分の音楽の分身のような存在となる。


シュンクさんは現在(本サイト掲載時点では、すでに定年退職)、ベルリン響(BSO)の第1コンサートマスターとして活躍しながらも、ハインツ・シュンク・ベルリン室内管弦楽団の芸術監督として、室内楽において自分の音楽を実現しようとしている。ベルリン響(BSO)のプログラムは、ベルリンのオーケストラの中でも、古典から現代まで一番カラフルに飛んでいるだけに、そのための準備だけでかなり多忙なはず。そうした多忙の合間に、室内楽において志を同じくする演奏家とともに自分の音楽を追求する。その労力は、音楽に対する熱い思い入れがない限りは生まれてこまい。


シュンクさんを中心としたベルリン室内管弦楽団の演奏家も、ベルリンのオーケストラの楽団員。みんな、音楽が好きでたまらないのだ。室内楽ではより緻密な音楽造りが要求されるだけに、仲間と討論しながら造り上げていく音楽は、普段のオーケストラでの演奏では味わえない充実感をもたらしてくれる。


こうして、演奏家は解放されて、大海に放たれた魚のように、自分の音楽の世界を泳ぎ回る。室内楽というのは、実に人間的な場ではないか。


ふくもとまさお

(読響オーケストラ2005年10月号掲載)
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