ぼくはまだ、ガウディが設計したバルセロナにあるサグラダ・ファミリアを見たことがない。いつも行きたい行きたいと思いながら、そのままになっている。
そのサグラダ・ファミリアで、ヴィーンフィルが(2021年)9月18日、ブルックナーの交響曲第4番を演奏するという。指揮は、クリスティアン・ティーレマン。演奏会の録画が演奏会同日に、3時間遅れで文化専門チャンネルの3Satで放映されることを知った。
ぼくは、しめたと思った。放送を見ることにした。指揮のティーレマンは今、ブルックナーの指揮ではもっとも注目される指揮者の一人だと思う。
とはいうものの、ぼくはこれまで、チェリビダッケやヴァントのブルックナーを生で聞いている。正直いうとぼくには、ブルックナーの作品がガウディのサグラダ・ファミリアという特別の場所で演奏されることのほうに余程の興味があった。
ブルックナーは元々、教会のオルガニスト。人生後半になってようやく、作曲の勉強をして、作曲家になった。ブルックナーの作品はぼくには、教会とは切り離せない。
ただ教会には、残響が長いという問題がある。演奏会には適さない。でもぼくには演奏を聞く前から、ブルックナーの作品はサグラダ・ファミリアに似合うと思えてならなかった。
演奏がはじまると、テンポがとても速いと感じた。本当に、そんなにテンポが速いのか。実際には、そうではないと思う。テンポが速いと感じたのは、むしろ演奏がせかせかしていたからではないか。それは、指揮のティーレマンに内面的な落ち着き、静けさが欠けていたからだと思う。
ティーレマンの動きを見ると、そういう感じがしない。でも演奏は、テンポが速いと感じる。よく見ると、ティーレマンの気が、胸の辺りで留まっている。お腹にさえも届いていない。からだ全体で指揮するというよりは、胸から上だけで指揮している感じがした。それが、演奏をせかせかさせ、テンポが速いと感じさせる要因ではないかと思った。
オーケストラの音も、ちょっと雑だ。特に管の音が生々しく、こういう響を出してほしいとコントロールされている感じがしない。テレビ録音も、管のソロが入るところで、ソロの音を拾いすぎている。それで、音の釣り合いがとても悪く感じられた。
ティーレマンはよく、指揮棒を下から上に強く引き上げる。普段はそれに違和感がないのだが、今日はなぜか、その時に音が強くなりすぎ、荒れていた。
フレージングや抑揚のつけ方も、らしくないというところがあった。それは単に、会場の残響が長い影響だけではないと思う。
ぼくはティーレマンのブルックナーも、生で何回も聞いている。ベルリンフィルとブルックナーの第8番を聞いた時は、「おお、これはすごい!」と思ったものだった。でも今日は、「ええどうして」と思うくらいによくない。
でもそれが、どうしてなのかはわからない。
会場では聴衆が暑くて、プログラムを手に持って扇いでいる姿が目立った。ティーレマンも演奏後には、首の周りから肩全体、それから背中までが汗でびっしょり濡れていた。演奏者の中にも、汗で髪の毛が濡れている演奏家がいた。でもその暑さが、これほどまで演奏に影響を与えたとは思われない。
長年生演奏を聞いておれば、こんなことは何回も体験する。それも、録画だとはいえ、生演奏を聞く楽しみの一つだ。
それでも、演奏の合間に映し出されるサグラダ・ファミリアの映像は何ともすばらしかった。サグラダ・ファミリアの映像が出てくる毎に、ぼくの心が清らかになるのを感じた。やはりサグラダ・ファミリアは、ブルックナーの音楽にはぴったりだと思った。
早くサグラダ・ファミリアに行ってみたい。
(2021年9月20日、まさお) |