日本のNPO法人アースウォーカーズは、福島県高校生がドイツで震災体験を語るとともに、ドイツの再エネの状況を学ぶドイツ訪問プロジェクトを実施しています。
その一環で高校生たちは、ドイツの首都ベルリンにおいてドイツの政治や歴史についても学んでいきます。ベルリンでは今回、3月26日に近郊にあるザクセンハウゼン強制収容所跡(記念施設)を見学しました。
見学後少し体験したことを消化してから、みんなでディスカッションをしたかったのですが、今回はスケジュールがタイトだったので、収容所跡見学後に朝買っておいたパンなどを食べてお昼ご飯をした後、すぐに施設の横にあるカフェで高校生たちに感想を聞きました。
それを撮影した動画と高校生たちが後でまとめたその日の体験レポートが、アースウォーカーズの代表理事小玉直也さんのフェースブックに投稿されています。
ここでは小玉さんの了解を得て、高校生さん毎に動画のリンク(下線のあるところをクリック)と高校生のレポートから強制収容所跡に関する部分を引用しておきます。なお、レポート文中にカッコ内に入れたものは、ぼくが内容が分かりやすくなるように追記したものです。
以下の写真は、強制収容所跡に入場する前に撮った集合写真です。
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(渡部めぐ撮影) |
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曲山澪(まがりやまみお)
澪の感想
福本さんにベルリンのこと、放射線のこと、原発のことを話していただきました。ザクセンハウゼン強制収容所にいきました。ドイツがユダヤ人を強制的に収容所に入れ、奴隷として厳しい状況下で働かせられている写真、道具、施設を見学しました。
実際に足を運んで自分の目で見る収容所は、想像を超えるものでした。収容所の敷地は思っていた以上に広く、いたるところに監視塔がありました。いかに逃げることが困難であるかがわかりました。
また、身体測定をすると言われ、実際に行くと身長を測る後ろから銃で撃たれていた話や、ここで骨になるまで燃やしたという話を聞きました。
(独房では)罪の重さによって部屋の広さや窓の大きさ、ベッドの有無など(が違い)、実際に目にすることでそこにいた人々の辛さを感じました。
自分はこんなに自由に過ごしていていいのか?と思いました。ドイツは、自分たちがやった過ちを見直し、忘れないために、今後二度と同じことを繰り返さないようにこのような施設があって、日本は攻められたことしか施設として展示しないが、ドイツは自分たちが攻めたことを展示していました。
日本も自分たちの過ちを見直す方がいいと思いました。
阿曽琴香(あそことか)
琴香の感想
今日はベルリン2日目でした。パンを買って電車とバスを使い、ザクセンハウゼン強制収容所に向かいました。その途中の(オラニエンブルク)駅近くに爆弾が飾られていました。その駅周辺は、戦争当時ウランの研究所もあった地域で、それを理由にその地域に(爆弾が)落とされた場所だと分かりました。
私が驚いたのは、まだそういった未爆発の爆弾が見つかっているということです。まだまだ戦争の傷跡が残っているんだなと感じました。
ふくもとさんが(その地区が放射能で汚染されていたことから)、放射線について詳しく話してくれたおかげで理解が深まりました。
ザクセンハウゼン強制収容所では風が冷たく、とても寒かったです。ユダヤ人はこんな寒い日も暑い日も、この空間の中で残酷な日々を送っていたと思うととても胸が痛みました。
暗い独房室や(遺体)焼却場、人体実験室。「なんでこんな残酷なことが平気でできるんだろう」。ほんとうに悲しくなりました。中でも一番胸が苦しくなったのは、身長を測る道具の隙間が空いていて、そこから射殺していたことです。他にも様々な形で、虐殺をしていた物が展示されていました。ナチスによって殺されたユダヤ人を運んでいる様子の慰霊碑の場は、とても空気が重く感じました。
ドイツには、こうやって過去の過ちを忘れないようにするための場がたくさんあります。しかし、日本は過去にナチス軍と同じようなことをしていたのに、それを学ぶ場がないと思いました。実際、私も慰安婦問題については知りませんでした。日本も、ドイツの教育方針を見習うべきだと思いました。
宮口あおい(みやぐちあおい)
あおいの感想
ザクセンハウゼン強制収容所に行って一番最初に感じたことは、寒さだ。昨日よりも気温が低く、天気もあまりよくなかったために寒かった。しかしそれだけではなく、とにかく風が冷たかった。
入ってすぐ、点呼場を案内していただいた。誰か一人でも欠けていたら、その人が見つかるまで外にずっと立たされるとのことだった。今は3月できっと冬より少し暖かいのにもかかわらず、私は暖かいジャケットを着ていたのにもかかわらず凍えるような寒さを感じたので、薄い布一枚で何時間もあの風が強く吹く更地に立たされるのはどんなに過酷だったのだろうか。思いを巡らせるだけでつらかった。
沢山の場を案内していただいたのだが、その中で最も印象的だったのが人体実験を行っていたところだ。足を一歩踏み入れると、何だか重く暗い空気が肩にのしかかり、少し気分が悪くなった。特に人体実験された死体の保管場へ続く階段では、現在の私たちをも死へと引きずり込むような恐怖を感じた。
全体の見学を経て一番に感じたのは、どうしてこんな残酷なことができるのだろうかということだ。仮にもし私がナチス側だったら、人の権利を剥奪できるようなことができただろうか。「きっとそれはできない」というのが今の想いだが、当時精神までナチスの考えに侵されていたらできたのかもしれない。どちらにしろ今の私はNoという答えしかもっていないので、当事者の話も伺ってみたいと感じた。
菅野愛華(かんのあいか)
愛華の感想
今日は午前中に、ザクセンハウゼン強制収容所へ行きました。ナチスはユダヤ人の他に、性的少数者や政府に反対の立場の人などを収容していたことを知りました。この場所で殺されていたと思うと、ゾッとしました。
当時ザクセンハウゼン強制収容所の近くには、住宅地がありました。市民はザクセンハウゼン強制収容所の存在を知っていて、どのようなことが行われているのか分かっていました。市民の中には、ザクセンハウゼン強制収容所のことを良く思わない人もいたと思います。ですが、見て見ぬふりをしていたことを知りました。見て見ぬふりをするというのは、今の日本でも起こっていることだと思います。私たちは、物事についてきちんと向き合う必要があると思いました。
ザクセンハウゼン強制収容所の近くに、警察学校がありました。そこには、看板が立てられていました。看板には、(ドイツの)憲法が書かれていました。憲法はナチスがやったことに対して、二度と同じことを繰り返さないようなものになっていました。
ドイツは自分達がやった過去のことについて向き合っていると思いました、一方日本は、自分達が過去にやったことに対してまだまだ向き合い足りていないのではないかと思いました。自分達がされたことはもちろん、自分達がしたことを学ぶ必要があると思いました。それが、世界が平和になる一歩なのではないかと思いました。
大内朝日(おうちあさひ)
朝日の感想
今日は、ドイツの暗い歴史について第二次世界大戦中ドイツでどんなことがおきていたのか知ることができました。
ザクセンハウゼン強制収容所(をはじめ、ナチスの強制収容所)は、ナチス・ヒトラー政権がユダヤ人、同性愛者、性的少数派、少数民族、知的障害者、共産主義者などを迫害、殺害したとても残酷な場所である。
そこ(ザクセンハウゼン強制収容所)には、点呼場やゲットー(独房)という囚人を(狭いところに)閉じこめておく場所、遺体を焼く焼却炉、遺体をおいておく倉庫などがありました。
私が一番衝撃だったのは、身体測定をすると言っておき、身長計に立つとわずかな隙間からうなじを撃たれるという処刑の仕方で、何も知らない囚人があっという間に殺されてしまうと考えると鳥肌が立ちました。
ふくもとさんから、昔は亡くなった人たちを解剖する道具やホルマリン漬けになった囚人たちや臓器(の写真)も展示してあったと聞いて、さらに驚きました。
ザクセンハウゼン強制収容所はすごく空気が重く、息苦しい場所でした。
加茂舞美(かもまいみ)
舞美の感想
今日は、ザクセンハウゼン強制収容所に行きました。収容所に入れられるのは、ユダヤ人だけではなく、同性愛者、障がい者、ナチス政権に反対した人達も迫害されていたと聞いて、とても多くの人が迫害されていたのだと思いました。
身長を測るふりをして、後ろから銃で撃って殺すのがとても印象的でした。
私は、戦争の時に日本が他の国にしたことを全然知らないと感じました。日本もされたことについての資料館だけではなく、日本がしたことについての資料館もつくるべきだと思いました。
根本莉子(ねもとりこ)
莉子の感想
ザクセンハウゼンに到着した時、普通の家に溶け込んでいる感じは、正反対だけど、広島の原爆ドームに似ていると感じました。ザクセンハウゼンにはユダヤ人だけでなく、(他の強制収容所には)少数民族や知的障害の人も収容されたと聞きました。門や収容所が解放された時間を示している時計は重厚感があったし、中は思っていたよりずっと広かったです。
福本さんから、窓の光が入る量が(独房の)部屋によって違うことや、アウシュビッツには45x45(センチメートル)の牢屋で座ることもできない牢屋もあると聞きました。(独房のある建物の)中に入ると、光が1点だけの部屋や真っ暗な部屋はのぞき穴で見ました。その部屋にいた人の写真などがあったり、(囚人が収容されていたバラックでは)食堂やベッドが古くなっていて、生活してた跡という感じがしたので、本当にユダヤ人などが収容されていたのだと実感しました。
ドイツは収容所の悲惨さを伝えていこうとしているけど、日本は他の国にしたことを教えようとしないので、そこが日本の悪い点だと思います。でも今から伝えていこうとしても、被害を受けた国からしたら遅いとなると思います。
以下の写真は、強制収容所跡を退場する直前に門の前で撮った集合写真です。入場前と退場後の高校生たちの顔つきに、変化はありますか。
みんなにとり、たいへんな体験だったと思います。ご苦労さまでした。
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(渡部めぐ撮影) |
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(2025年4月30日、まさお) |