2021年1月27日掲載 − 再エネいろは
FIT制度はどのようにして成り立ったのか?
再生可能エネルギーQ&A

これまで、再生可能エネルギーで発電された電力の固定価格買取制度(FIT)について、何度となく述べてきました。ただそれがどうのようにして成り立ったのかは、ほとんど書いてきませんでした。


多分、ドイツ西部のアーヘンという町で市民がはじめたくらいしか書いてこなかったと思います。


市民がはじめたとはいえ、市民の考え出したアイディアが制度とまでならない限り、一部市民の試みで終わってしまいます。FIT制度はその後ドイツ全体の制度となり、世界各国にも広まりました。FIT制度は、ドイツの「輸出ヒット商品」といっても過言ではありません。


今回は、FIT制度が成り立った経緯について簡単に述べておきたいと思います。なお今回は、FIT制度の成り立ちだけに止めます。その後の改正状況については、「ドイツ、再生可能エネルギー法を改正へ」の記事を参照してください。


FIT制度の原則は、再エネで発電された電力を市場で取引されている価格より高く買い取ることによって、再エネによる発電を刺激し、普及させることです。そのアイディアは、1989年にドイツ西部の町アーヘンの市民グループによって生まれました。「太陽エネルギー推進協会」という市民団体でした。


名前からもわかるように、ソーラーパネルで発電する市民を増やし、市民が太陽エネルギーによって発電することを拡大させることを目的にしていました。そのアイディは1994年になって、アーヘンで実行に移されます。そのため、「アーヘンモデル」といわれます。


この市民グループを共同で設立した一人が、ヴォルフ・フォン・ファーベックさんでした。当時、陸軍専門大学の工学講師でした。ヴォルフさんは学部長までなりますが、1986年にチェルノブイリ原発事故が起こると、環境問題に専念したいと退任。その年の年末に、「太陽エネルギー推進協会」を共同設立します。


そこで生まれたアイディアが、FIT制度の原型です。そのアイディアは、どのようにして制度までになったのでしょうか。


当時、FIT制度のアイディアに魅せられたドイツの政治家が何人もいました。


ドイツが最初にFIT制度を法制化したのは1990年。給電法という法律が1991年に施行します。その時の対象は、ほとんどが風力発電でした。その意味で、まだ完全にはFIT制度化されたとはいえません。FIT制度がすべての再エネに拡大され、ドイツでFIT制度が本格的に始動するのは、2000年に施行した再生可能エネルギー法からです。


この給電法と再エネ法は、政府によって立案されたものではありません。国会議員によって法案が提出された議員立法でした。


議員立法に参加したのは、緑の党、社民党、キリスト教社会同盟(ドイツ南部バイエルン州だけの保守政党)の国会議員です。最初の1990年の時期、ドイツはコール首相による保守中道政権でした。ただこの時環境大臣だったのが、クラウス・トェプファーさん。当時、ドイツをリサイクル社会化した最大の貢献者です。後に国連環境計画(UNEP)の事務局長を務め、福島第一原発事故後にドイツで設置されたエネルギー倫理委員会(脱原発を確定させる)の共同議長となりました。


2000年の時、ドイツはシュレーダー政権。社民党と緑の党による左派中道政権でした。その意味で、FIT制度が成立した背景にはこうした政治的なバックアップがあったからだともいえます。


再エネの促進では、ぼくは特にヘルマン・シェーア(社民党)さんとハンスヨーゼフ・フェル(緑の党)さんの二人の政治家の名前を挙げておきたいと思います。この二人が牽引しなければ、ドイツの再エネはここまで普及しなかったと思います。


特にヘルマンさんは、「ドイツ再エネの父」どころか、世界の再エネの拡大に貢献した人物です。国際エネルギー機関に対抗するため、国際再生エネルギー機関(IRENA)をつくらないとダメだと、その設立に莫大なエネルギーを注ぎました。ヘルマンさんは、もう一つのノーベル賞といわれるライト・ライブリフッド賞を受賞しています。


しかしヘルマンさんは、心半ばにして2010年に急死。ハンスヨーゼフさんも、政界から引退してしまいます。正直いうと、この二人の志を継ぐ後継者がドイツにはまだいません。それが今、ドイツで再エネが滞っている一つの要因だとまで、ぼくは思っています。


もう一つ忘れてはならないのは、科学的なバックアップです。日本では環境税の導入などで知られるヴッパータール気候環境エネルギー研究所の元会長ペーター・ヘニッケさんによると、同研究所ではチェルノブイリ事故前の80年代から代替エネルギーによる社会造りについて議論し、それが実現可能であるとの結論に達していたともいいます。


こうして見ると、FIT制度は市民と政治、科学が連携することによってはじめて可能になったともいえると思います。


(2021年1月27日)

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なぜFIT制度が必要なのか?
関連サイト:
アーヘンの市民団体「太陽エネルギー推進協会」のサイト(ドイツ語)
ヴッパータール気候環境エネルギー研究所のサイト(ドイツ語)
国際再生エネルギー機関(IRENA)のサイト(英語)
ドイツ経済エネルギー省の再エネ情報サイトの再生可能エネルギー法のページ(ドイツ語)
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