ぼくは前回、「FIT制度はどのようにして成り立ったのか?」の記事で、ドイツで再エネをここまで普及させてきたステークホルダーを何人か挙げました。そこで述べたアーヘンの市民グループも、国会議員だったヘルマン・シェーア(社民党)さんとハンスヨーゼフ・フェル(緑の党)さんも、芯から反原発でした。
たとえばヘルマンさんは、原発の話になると、声の調子を上げて強い口調で原発に反対していました。ヘルマンさんが国際再生エネルギー機関(IRENA)の設立に尽力したのは書きました。それは、国際エネルギー機関(IEA)が原子力族に牛耳られているので、それに対抗する力として再エネの国際機関が必要だと認識したからでした。
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ドイツの反原発運動の拠点だったゴアレーベンで、フランクさんは他の農民と一緒に共同で牛舎と倉庫の屋根にソーラーパネルを設置した |
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ぼくが取材した限り、再エネ発電施設を設置した人のほとんどは反原発でした。ドイツの市民電力会社で知られるシェーナウ電力も、チェルノブイリ原発事故後に原子力発電に反対する市民グループからはじまったものでした。
ぼくは2011年3月に福島第一原発事故が起こると、反原発と再エネという視点から、何回かドイツで取材したことがあります。
その年の5月に取材したのが、前述のシェーナウの市民電力。さらにその9月に、ドイツの反原発運動の拠点といってもいいゴアレーベンで有機農業を営むフランク・シュミットさんを取材しました。
フランクさんは、使用済み燃料や再処理後に発生した高レベル放射性廃棄物がゴアレーベンにある中間貯蔵施設に運ばれてくる毎に、トラクターで反対デモをする農民グループのリーダー格でした。
フランクさんはまた、他の農民と一緒に、牛舎と収穫したジャガイモを保管する倉庫の屋根一面にソーラーパネルを設置しました。その横では、地元で栽培されるトウモロコシの茎や葉を破砕して家畜の糞と混合してバイオガス発電も行なっています。バイオガス発電によって発生する熱は、収穫したジャガイモを乾燥させるために使います。
そのフランクさんが、ソーラーパネルとバイオガス発電施設を前に、「これが、ぼくの反原発運動なんです」と語ってくれたのは、ぼくには今も印象深く残っています。
少し専門的なことも、付け加えておきたいと思います。
再エネによる発電電力量に変動が大きいことは、本サイトで何回も書いてきました。それに対して、原子力発電は常に100%稼動で、一定の電力量しか発電しません。
その異なる特徴からして、再エネと原子力は両立しないのです。再エネが増えれば増えるほど、必要となるのは再エネの変動に合わせて柔軟に発電電力量を調整できる調整力といわれるものです。原子力発電の発電電力量はいつも一定なので、再エネの変動にはついていけません。
その意味で、再エネが増えれば増えるほど、原子力発電は不要で、邪魔になります。
(2021年2月03日)
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