2019年5月28日掲載 − 脱原発
ドイツ反原発運動への疑問
前回記事からの続き)

ヴォルフガングさんは、長い間ドイツの最終処分候補地ゴアレーベンで反対運動をしてきた。そのヴォルフガングさんの話で、一つ気になることがあった。


それは、ヴォルフガングさんがヨーロッパで原子力発電を促進する基盤であるEURATOM(欧州原子力共同体)条約の撤廃を主張したことだ。これは、ドイツの反原発運動ではみんなが主張している。その気持ちもよくわかる。


でも、このEURATOMがヨーロッパの原子力安全と放射線防護を規制する基盤になっていることも忘れてはならない。EURATOMをなくして原子力発電を廃止しても、核のごみはまだ残っている。そのため、安全規制、放射線防護は原子力発電がなくなってもまだまだ必要だ。EURATOM撤廃後に、原子力安全規制や放射線防護の問題をどうするのか。そのことも考えなければならない。


EURATOMの撤廃を主張すれば、メディアの注目も集めやすい。一般市民にもわかりやすい。でもそれだけなら、ポピュリズムになってしまう危険はないだろうか。


EURATOMの安全規制や放射線防護に問題があるのも事実だ。それなら、その問題を指摘して議論するのが反原発運動の役目であるはずだ。


ヴォルフガングさんの講演の後、ドイツ東部のウラン採掘鉱山跡の状況を研究、調査して博士論文を提出したばかりのグリート・ルーラントさんと知り合った。


グリートさんは、放射線テレックスに投稿したぼくの記事を読んでメールを送ってきてくれたことのある記事の読者だった。こういう場にいる日本人は多分ぼくではないかと思って、声をかけてくれたのだった。


放射線テレックスに投稿した記事(「Vorsicht mit der Heimat!(ふるさとに注意)」)は、福島第一原発事故をテーマにしてドイツ人映画監督が制作したドキュメンタリー映画「ふるさと」について批判したものだった。映画にはドキュメンタリー映画といいながら、事実に反することがたくさんある。映画は、事実に基づくのではなく、感情的に反原発に扇動することを意図していた。


記事では、その点を指摘すると同時に、反原発問題では事実と専門的な知見に即して議論しないと、推進派から相手にされなくなってしまう危険があることを警告した。


映画監督はその後、作品がドキュメンタリーではないと、放射線テレックスの紙上で認めざるを得なくなった。


でも問題はむしろ、この映画を支援して反原発キャンペーンを展開したドイツ最大の反原発団体アウスゲシュトラールト(「放射線がでている」の意)にあった。この映画は同団体が支援して、ドキュメンタリー映画としてドイツ全国で上映される運びになっていたのだ。


ぼくはその前に、アウスゲシュトラールトに頼まれて映画を試聴した。


映画を試聴して、アウスゲシュトラールトにはすぐに映画の問題を指摘し、この映画は反原発団体として支援すべきではない、とはっきりアドバイスした。しかし、支援するのはすでに決まっていた。アウスゲシュトラールトは警告を無視して、ドイツ全国でフクシマ事故をテーマに反原発キャンペーンを展開する。


反原発運動に役立つなら、何でもありという立場だといってもいい。


グリートさんは以前、反原発団体の広報活動をテーマにしたワークショップに参加したことがあるという。その時、各団体がいかにメディアの注目を浴びるのかということにしか関心がないことにびっくしたと話してくれた。ちょっと違うのではないかと思ったという。


事実よりも、注目を浴びることを優先させるということなのだろう。でもそれなら、ポピュリズムと変わらない。


この問題は、ドイツの反原発運動と長い間付き合ってよく感じてきたことでもある。


注目を浴びて、反原発運動を広げていくのは必要だ。でも運動が事実に基づいていないと、原子力推進派からは反原発運動は事実でないことから主張しているだけと相手にされなくなる。


そのほうがもっと問題だ。


前へ)(続く

(2019年5月28日)
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