前回、廃炉工事中における問題について述べた。だからといって、廃炉が危険だから、廃炉はしないほうがいいといっているのではない。
廃炉の安全は、100%保障できるわけではない。廃炉工事中に、放射性物質が外部に飛散する可能性がある。
でも世の中に、100%安全なものはあるだろうか。ないと思う。
その危険をおかしても、廃炉は実施しなければならない。
それは、なぜか。そのほうが全体として総合的に安全だからだ。
原子炉を解体するのが危険だからといって、原子炉が解体されないまま放置されるのを考えてもらいたい。そんなことは、誰も望んでいないと思う。
原子炉を放置するほうが廃炉するよりも危険なのは、誰にとっても明らかだ。
この点を誤解してはならない。
廃炉工事の行われる地元住民にとっては、放射性物質が飛散するのが心配だ。だから、廃炉はいやだという気持ちは理解できる。でも感情的になるのではなく、冷静に原子炉が放置されることを考えると、廃炉するほうが地元住民にとってより安全なのはわかってもらえると思う。
廃炉は、100%安全だとはいえない。でも、廃炉は絶対必要なのだ。それなら、どうするのか。できるだけ安全になるように考えて、議論する。それが、求められているのではないか。
そのために前回、廃炉工事に伴う問題について指摘したのだ。この点は誤解してほしくない。
とかく問題があると、すぐに反対だと議論してしまうことがある。でも廃炉が必要な以上、問題があれば、どうするのが一番安全かについて一緒に議論し、できるだけ安全な方向に進むようにするべきだ。
そのためには市民として、廃炉に関する情報の公開や住民参加の形で廃炉工事を監視してモニタリングする方法などを求めていくことも必要だと思う。
そうすれば、廃炉に対する住民のアクセプタンスも得やすいのではないか。
(2019年8月20日) |