ドイツ連邦議会の超党派最終処分委員会にとり、最終処分地の選定に住民参加を取り入れることが重要な案件だった。そのことについては、すでに書いた。
そのために、委員会が審議、検討している案に対して、市民の意見を聞くために市民対話が行われた。それについても、前回報告した。
そこで問題になるのは、市民とは誰か、市民はどの程度対話に参加したのかだ。さらに、市民対話によって得られた意見が最終処分委員会の審議と結論にどの程度反映されたかだ。
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休憩中、空席となったラウンドテーブル |
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最終処分委員会による市民対話は、何回も行われた。ただ回数を重ねる毎に、一般市民の参加が減っていったもの事実。その背景には、最終処分候補地がまだ具体化しない段階で、最終処分問題に対する一般市民の関心がまだそれほど大きくなかったことが考えられる。
最終処分候補地が具体化すれば、社会は加熱するよ。そういう予想が大半だった。
それでも、毎回参加している市民がいたのも事実。その一人は、最終処分にとても関心を持っているからということだった。地質問題に関心があって参加しているという地質学専攻の学生もいた。
でも一般市民の参加が減るに伴い、市民対話に参加するのは、最終処分候補地となる可能性のある州や自治体の関係者、あるいは関連の研究機関、企業関係者などが主流になってしまったことは否定できない。
となると、市民とは誰なのだという疑問が起こる。
もう一つよくわからなかったのは、市民の意見がどの程度委員会の審議や結論に反映されたかだ。市民対話が終わる毎に、対話した内容は今後委員会内でまとめ、慎重に検討して審議に反映されるといわれた。
ただここには、すでにいくつか問題があった。
小グループに分かれてラウンドテーブルで話し合われたことをすべて把握して、委員会で検討するのは無理だった。ラウンドテーブルで取り入れられた意見は、ある意味でラウンドテーブルでの多数派意見なのだ。そこで、まずふるいにかけられている。
さらにラウンドテーブル毎に出た意見も、全体ではすべて把握されていたわけではない。ここでも、選別されていたといわなければならない。
となると、市民の意見は選別してしか取り上げることができないのかという疑問が生まれる。
市民対話で出された意見が実際にどう反映されたのか、はっきりと形になって現れるわけでもない。そのプロセスや結果がとにかくわかりにくい。
たとえば、市民対話を首都ベルリンだけではなく、各地で行うべきだという市民の声は、はっきりと反映された。それは、市民対話が実際に各地で行われるようになったからだ。
でも市民の意見が、具体的な諮問案にどう反映されたかになると、具体的な結果として現れないこともある。最終処分委員会委員の考え方を変えただけかもしれないからだ。それは、具体的な形では現れない。
市民の意見が具体的にどう反映されたのか。それがはっきりしないという問題は、市民対話における市民の関心をそいだ可能性もある。
ただこれは、とても難しい課題だったと思う。でも、市民の意見がどう反映されたのかをもう少しわかるようにする努力が行われてもよかった。
(2020年12月08日) |