2021年8月24日掲載 − 脱原発
日本では、原発の安全管理体制が機能しない

高経年化した老朽原発の運転期間を延長するには、原子炉毎に定期安全レビューや健全性評価などの安全性評価が必要となる。その結果が、運転期間を認可するかどうかの基盤となる。


安全性を評価するといっても、安全性評価は完全なものではない。技術的な制限の下でしか実施できないのは、前回書いた通りだ。


ぼくは、安全性評価にさらにもう一つ大きな問題があると思っている。それは、日本における原発の安全管理体制の問題だ。日本ではよく、「原発の技術を輸入したが、安全の哲学まで輸入しなかった」といわれる。


これは、どういうことを意味するのだろうか。日本では、原発の安全はどうでもいい、安全のことまで考えていないということなのだろうか。一般には、そう思っている人も多いと思う。日本政府を擁護するわけではないが、日本はそこまで原発の安全を無視してきたわけではない。ぼくはむしろ、原発の安全を管理する体制に問題があったと思っている。


たとえばドイツは、どうしているかだ。ドイツの原発の安全規制体制を「ドイツの原子力規制構図(PDF)」に簡単にまとめてある。これを見ると、わかると思う。


ドイツの安全規制体制は国家主導ではなく、民間標準も取り入れた全業種的なものになっている。原発の技術標準は、国家、州、科学界、経済界が共同で作成、更新する。検査は、国、州、経済界で設立した第三者機関によって行われる。こうして、原発の安全は国全体で維持、管理される。そのほうが、世界の原発の最新技術状況や問題についても、世界と情報交換しやすい。


それに対して、日本は長い間、原発の技術標準の作成と更新、検査、安全管理が国主導で行われていた。すべて国だけが行なっていたといっても過言ではない。それを、民間も入れて全業種的に切り替えたのは、ぼくの記憶が間違っていなければ、2000年前後ではなかったかと思う。


ぼくはその時、原発の安全管理体制が全業種的に換わるのはいいことだと思った。その時、日本で反原発運動をする友人にそう話すと、友人は「国外にいるから、そういえるのですよ。ぼくも全業種的がいいと思っているのですが、今ぼくが日本でそういうと、反原発運動の仲間から裏切りものと、村八分にされますよ」といった。日本の反原発運動においても、国主導が一番との思い込みがあったのだと思う。


ぼくはそれを聞いた後、日本でドイツ脱原発について話す機会があると、「原発の安全管理は全業種的がいい」といってきた。


日本の国主導の体制は、原発の安全は運転者自らが維持、管理するものだという意識を失わせたと思う。むしろ、何でも国のいう通りにしておればいいのだという依存体質ができた。国は国で、原発運転者が困るような規制はできるだけ避けるようになる。こうして、お互いの癒着関係も生まれていったのだと思う。


日本では、安全管理を全業種的に切り替え、検査機関も福一原発事故後に管轄官庁の経産省から独立した。しかしそれは、名目上そうなっているにすぎない。原発の安全に係わる日本の体質は、依然として変わっていない。依存体質と癒着だ。原発を運転する電力会社は長い間国に依存し、原発の安全に対して自立した考えを育ててこなかった。それが、日本の現実だ。


そして、老朽原発の安全性を評価するのは、その電力会社だ。電力会社が作成した安全性評価が、検査機関によって審査される。その結果は、決して独立したものにはならない。


こうした日本の状況において、老朽原発の運転期間を延長するかしないかを判断するのは、危険だといわざるを得ない。老朽原発の運転期間延長は、認めるべきではない。


(2021年8月24日)
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関連サイト:
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