2013年7月10日掲載 − HOME − 放射線防護 − 記事
規制値は民主的に決定されていない

原子力発電は「原子力の平和利用」といわれます。ぼくには、この表現が広島と長崎への原爆投下を体験した日本にとって皮肉なことばに感じるのですが、それはぼく個人の問題でしょうか。


ドイツにいると、世界で唯一の被爆国がどうして原子力発電に依存しているのかとよく聞かれます。ぼくはよく、それは被爆国だからだと答えます。


原子力を平和的に利用するというのは、1953年12月8日に米国アイゼンハワー大統領が国連総会で「平和のための原子力(Atoms for Peace)」に関して演説したことに端を発します。


それによって、1957年に国際原子力機関(IAEA)が誕生します。


その後、1959年5月に、原子力の平和利用においては放射線防護に関しても国際原子力機関が権限を持ち、本来放射線の影響を防止すべきはずの世界保健機関には何もいわせないという協定が結ばれます。


もう一つおかしいのは、国際放射線防護委員会(ICRP)という組織の存在です。国際放射線防護委員会は元々医学の学術組織として設立された国際X線ラジウム防護委員会の後継組織で、1950年に設置されました。それに伴って、委員会の門戸が医学以外の原子力関係者にも解放され、核実験の実施と原子力の平和利用を目的に線量限度が勧告されるようになります。


委員会の委員は、自らが名乗り出て委員になっているといわれます。なりたければ、誰にでもなれるといっても過言ではありません。


その勧告は、学術上の知見から数年も遅れているともいわれます。しかし、この国際放射線防護委員会の作成する勧告が、国際標準として各国の放射線防護の基盤になっているのです。


国際放射線防護委員会は国際機関でもなければ、国家機関でもありません。委員は公選もされません。国際機関、国家機関などから資金援助を受けて運営されているとはいえ、まったくの民間団体です。


そういう民間団体が、人体の健康に影響を与える放射線の線量限度を勧告しています。線量限度といえば聞こえがいいですが、それは、放射線に関して健康影響の許容値を決定しているということです。この「許容」とは、それくらいの健康影響なら大目にみようという意味です。国際的に委任したわけでもないのに、一体誰が民間団体にそうした権限を与えたのでしょうか。


フクシマ事故後、日本政府は国際放射線防護委員会の勧告を基盤にして、避難のための線量限度を決めてきました。規制値や基準値の規定は法律の附則に当たるため、線量限度のような規制値には、国会審議は行われません。


政府は、放射線審議会や原子力安全委員会で審議したというかもしれません。


しかし、原子力安全委員会の安全委員と非常勤の審査委員の約三割が、原子力産業界から多額の寄付を受けていたことが発覚しました。寄付を受けてきた委員らは寄付の影響を否定しているようですが、こうした状況で中立性が確保できたのかどうか、疑問を持つのはぼくだけでしょうか。


原子力推進派の行政と学者が密室で決めた線量限度が、そのまま施行しています。


線量限度は、人間の命にかかわる問題です。それが行政と学者のさじ加減で操作されていないのか。そこには、市民の声が届く余地が一つもありません。


線量限度に関する国際勧告は、民主主義の手続きを経ないまま、民間機関によって決められたものにすぎません。しかし、その勧告が絶対的な権限を持っています。


放射線防護に関する規制値は、ヒトの生死に関わるものであるにもかかわらず、密室で独裁的に決められています。放射線防護に、民主主義はありません。


(2013年7月10日、おすと   えいゆ)
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