福島第一原発の事故の結果、放射能に汚染された水が毎日、多量に排出されている。その汚染水はこれまで、多核種除去設備(ALPS)によって処理して放射性核種を除去し、事故原発サイト内に保管されている。しかし保管する量にも限界がある。政府はそれを、海に放出すると決めた。
ALPSがこれまで期待された性能を示さず、必ずしも汚染水に含まれる数々の放射性核種を除去できていないのは知られている。政府はその場合、汚染水をもう一度APLSで処理した後、海洋放出するとしている。政府はそれを、「ALPS処理水」と呼ぶ。
それに対して、海洋放出に反対する人たちは、ALPSで処理されても汚染されているのだから「汚染水」だと主張する。そこに、政府と反対派の間に食い違いがある。
ただALPSでは、トリチウムを除去することはできない。その点で、政府と反対派の間に食い違いはない。ここではトリチウムの問題についてだけ考えたいので、トリチウムの含まれた水を「トリチウム水」とだけ呼ぶことにする。
ALPSではなぜ、トリチウムを除去することができないのか。
トリチウムは水素の同位体で、自然界に存在する一般的な水素(正確には軽水素)と化学的性質が異ならない。でも質量など物理的性質は異なるので、その点は誤解しないでほしい。
ALPSはそれぞれ元素の化学的性質の違いを利用して、吸着や濾過することによって核種を除去する。しかしトリチウムでは、水素とトリチウムで化学的性質に違いがないので、それができない。ALPSは、普通の水とトリチウム水を区別することができない。だからALPS処理水には、トリチウム水が残る。ALPS処理水が海に放出されると、トリチウム水も海に放出される。
ここで政府は、トリチウム水は海の莫大な量の水によって希釈されるので、海洋放出は問題ないと主張する。
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福島第一原発事故サイト内の汚染水の入ったタンク。タンクは2011年夏に撮影されたものなので、この時タンクはまだ、溶接仕様ではなく、リベット仕様だったので、漏れが目立った(写真:ジャーナリストの鈴木智彦さん提供) |
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それに対して海洋放出反対派は、トリチウムの影響が軽視されているとする。
その例として挙げられる主な問題は、有機結合トリチウム(OBT)の問題だ。水素とトリチウムの化学的性質が同じなので、人間を含めて生物は、タンパク質や遺伝子(DNA)に水素の代わりにトリチウムを取り込んでしまう。体内においてトリチウムがトリチウム水として存在すれば、新たに水が体内に入ってくれば、トリチウム水は新しい水と入れ替わる。トリチウムはそれとともに、体外に排出される。その時の生物学的半減期は12日だ。
それに対して、トリチウムはタンパク質やDNAに取り込まれ、細胞の有機物の構成成分となる。それは、有機結合トリチウム(OBT)といわれる。そうなると、トリチウムはなかなか代謝して排出されない。それが、OBTの問題だ。
ぼくたち人間は、トリチウム水を通常の水と同じように、口から体内に取り入れる可能性がある。さらに、皮膚から取り入れる可能性もある。微生物をはじめとして海の生物がトリチウムを体内に取り入れると、海洋における食物連鎖のプロセスにおいて食物連鎖の高位にある生物では生物濃縮によってトリチウムの濃度が高くなる。ぼくたちが海洋の食物連鎖の高位にある魚などを食べると、ぼくたちは高濃度のトリチウムを取り込むことになる。その結果トリチウムは、OBTとして長期に渡って体内に残ってしまう可能性がある。
だから反対派は、トリチウム水を海洋に放出するのは危険だという。
ただこれだけでは、トリチウムが危険で、人体に影響を与えると説明するには不十分なのだ。これまでの科学の知見では、生物もALPSと同じように、化学的性質の同じ水素とトリチウムを区別することができない。この問題は、トリチウムが体内に取り入れられるメカニズムでは認められている。しかしそれ以上は、認められていない。
それがなぜ、問題なのか。
そこで問題になるのが、生物が水素の代わりにトリチウムを選択的に取り入れているのかいないのか、さらに食物連鎖においても、トリチウムが選択的に生物濃縮されているのかいないのかだからだ。
トリチウムが選択的に選ばれていないと、どうなるのか。
トリチウムが取り入れられて有機結合するどうか、生物濃縮されるかどうかは、単に確率の問題になるということだ。そうなると、海洋の水におけるトリチウム水の割合はどれだけか、さらに食物連鎖における水素とトリチウムの割合はどれだけかなど、その割合が確率を決める要因になる。そうなると、トリチウムがOBTとして体内に残る確率はとても低い。
そうではないということを立証するには、生物が化学的性質ではなく、物理的性質などその他の違いを利用して、トリチウムを選択的に取り入れ、生物濃縮しているメカニズムが科学的に解明されなければならない。
あるいは、英国セラフィールドなどトリチウム汚染の多い地域で、高濃度のトリチウムに汚染された生物が増えていることが、統計的に有意だと確認されなければならない。そのためには、統計的に解析するに十分なサンプルが摂取されていなればならない。
しかしぼくが知る限り、そのメカニズムはまだ解明されておらず、統計解析に足りるだけの統計データもない。
このままでは、トリチウムの有機結合が起こるのは単に確率の問題だということになる。そうなると、有機結合トリチウムの問題だけからは、政府が海洋のたくさんの水で希釈されるのでトリチウムの海洋放出は問題ないと主張していることに対して、科学的に反論できない。
海洋放出に反対する人たちは、この点について納得できる説明をしていない。それを海洋放出に反対している人たちにも理解してほしい。
ぼくがこういうのは、海洋放出に賛成しているからではない。むしろ、反対している。でも反対するには、反対するのに合理的な説明が必要だ。ぼくはそうしてもらいたいから、問題の核心を明らかにしている。
ぼくはむしろ、トリチウム汚染の問題を廃炉の問題の一つとして、廃炉において総合的に解決するべきだと思っている。その点で、トリチウム水だけに特化して議論されていることを疑問に思っている。
廃炉の枠内でトリチウム水の処理問題を考えれば、たとえば廃炉によって排出される汚染残材など放射性廃棄物をセメントで固めるためにトリチウム水を使うことができる。その固形物の形状、大きさを標準化すれば、それを地層処分しやすいし、スペースも節約できるではないか。
(2021年12月07日) |