ぼくたちは加害者だ

 下の写真は、ベルリン・ブランデンブルク門前を走る6月17日通りで撮りました。ベルリンでは、新型コロナで外出制限されていることから、駐車する車も含めて車がほとんど走っていません。

 今ベルリンは、こんなに閑散としているよと、気軽な気持ちで日本にいる友人に写真を送ったつもりでした。

ベルリン・ブランデンブルク門前の6月17日通り、2020年4月11日撮影

 ところが、ぼくが想像もできない反応が続々と日本から届きます。写真を見て、みんなびっくり仰天しています。「日本では、信じられない」、「日本では、考えられない」というものばかり。「さすがドイツ!」というものもありました。

 ドイツでは、緊急事態宣言は出されていません。ぼくからすれば、緊急事態宣言の出た日本のほうが、もっと閑散としていて当然と思います。

 でも、現実はそうではありません。

 日本から届く映像を見ると、「ウソ!」というものばかり。あんなにたくさんの人が外に出て密集していては、感染拡大は防げません。政府の防疫対策も、あってないような内容。あれは、無作為と危機感欠如のてんこ盛り緊急事態宣言としかいいようがありません。

 さて、ドイツと日本ではどこが違うのでしょうか。ちょっと考えて見ました。

 答えは、意外と簡単でした。

 それは、新型コロナで被害者意識を持つか、加害者意識を持つかだと思います。

 なぜ、外出自粛や外出制限をするのでしょうか。それは、自分が感染しないようにするためですか。それとも、他の人を感染させないようにするためですか。

 日本とドイツで、その基本が違うのだと思います。

 自分が感染することだけを考えているのは、被害者意識しかないということです。それに対して、他の人を感染させないようにと考えるのは、加害者意識があるということです。

 ドイツのシュタインマイアー大統領は4月11日夜、公共テレビ放送において市民に向かってスピーチをしました。そこで大統領は、「市民のみなさん、ありがとう。みなさんは、たくさんの人の命を救ってきたのです」と語りました。

 大統領は、市民が加害者意識を持って、外出しなかったことに対して感謝したのです。

 そこに、危機感の違いが現れます。

 自分の感染することだけを考えていると、自分は若いし、感染しても症状がないだろうから安全だと思って、外に出てしまいます。しかし、自分が知らない間に感染していて、リスクの高い高齢者などを感染させてしまってもいいのですか。そこまで考えなくていいのですか。

 そうなるのは、加害者意識が欠如しているからです。

 それが、日本とドイツで現れた違いだと思います。それは、民主主義教育がされているか、されていないかの違いでもあります。

 外出制限によって、市民の自由が奪われるとの批判があります。それは、民主主義に反するといわれます。しかし、それだけが民主主義ではありません。民主主義では、他の人にも責任を持ちます。他の人の自由、他の人の命も奪ってはならないのです。

 民主主義によって、その両方を両立させなければなりません。

 その時、自分はどうするのですか。それを考えるのも民主主義です。

 日本の民主主義は、よく表面的で実質がないと批判されます。それが、今回も一つの現象となって現れたと思います。

 加害者意識を持ちましょう。

(2020年4月13日、まさお)

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 Comments

  1. 田口純 より:

    埼玉在住の田口です。とても大事な視点で、大いに学びました。何かというと被害者意識を持ちがちな私、という気づき、大切だと思いました。労働運動をしている友人が、運動家は「自分を守ることより政治運動に熱中・・・」とあり、少し違和感を持っていたのですが、彼ら(わが友人も運動家)も、「被害を受ける」自分への注目が大事であり、他人を感染させるかもしれない「加害者として」の自分への観点が不足している、と感じました。沢山ベルリンから学ばせてもらいます。ありがとうございました。

    • 田口さま
      コメントありがとうございます。先日、日本の高校生とZoom講座とした時に、この問題を取り上げました。その時は、戦後75年がテーマで、ドイツとの比較で、戦後の日本で戦争に対する加害者意識が欠如した問題が、新型コロナにおいても現れているのではないかと思うとも話しました。Zoom講座のチラシを作成する段階で、戦争加害国ドイツと日本となっていたのですが、ある高校の先生からそれでは生徒に拡散できないといわれました。保護者と校長からクレームがでるということで。それも、今の日本社会を反映していると思います。それと同時に、日本の先生の苦悩が痛感させられます。
      まさお

  2. 田口純 より:

    お返事ありがとうございました。戦争加害国である日本、という言葉、認識が、今の教育現場では禁句・自粛となっている現状をどう変えていったら良いのかという難題に関して、やむを得ず自粛されている方との対話を創るためのいくつかの考え方を、つたないですが以下の様に考えました。1、戦争加害を認めることは自分、自分たち、私の所属する国をおとしめることではないことを認識する。2、情勢や時間の変移に伴って情報や状況の変化が起こり、のちの時間から見たら明白な誤りがある時点では必ず起こりうる(いつも人や集団は正しい決断をできるわけではない)ことを共通認識として持つ。3、大事なことはその過去の誤りを認め、必要なら謝罪し、その誤りから未来に活かす学びをすること、を認識する。4、「未来に活かす」という目的をぶれずに持って、自分の大枠の認識に反する事実に対しても謙虚に向き合い、事実への開いた態度を維持し続けること。5、当事者性を放棄したような・他人事のような口調で、自分の民族への失敗を喧伝・糾弾しないで、あくまで事実に対して忠実であること。6、それと同時にその事実というものが持つ政治性について敏感でいて、事実の塊から作られる結論についてはあくまで暫定的であることを自覚して、その結論に反する事実をも細部にわたって吸収して、それを通じてより客観的な事実の集合体の形成を目指すこと。7、しかしこの事実形成も、未来に活かす目的のもとで行われることを忘れないこと、以上を考えました。

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