2022年6月03日掲載 − HOME − 小さな革命一覧 − 記事
日本赤軍、東ドイツでの足跡

日本赤軍の重信房子元最高幹部が2022年5月28日、刑期を終えて出所しました。実は重信房子(以下敬称略)は、東ドイツ秘密情報機関「シュタージ」においてXV 1339/87という番号で登録され、「ベッティーナ」というコードベームを持っていました。登録番号からすると、1987年に登録されたと見られます。


もう一人映画監督で、1974年に日本赤軍に合流した足立正夫も、XV 879/86としてシュタージに登録されていました。「ブルーノ」というコードネームでした。登録番号から、重信より1年早い1986年に登録されていたことがわかります。


いずれも「IMB」でした。IMBとは、シュタージの「非公式協力者」として、主に情報を提供することがその任務になっていました。もう一人、登録番号XV 5510/85、コードベーム「ターレーク」という人物もいたはずです。しかしそれが、誰だったのか。ぼくにはまだわかりません。


実際に3人が、どういう役割を果たしていたのか。それもよくわかりません。たとえば1989年の『作戦』としてシュタージ文書には、日本赤軍が北朝鮮で開催される世界青少年祭において、何らかの活動を計画して実行しないように影響を与えると記録されています。


東ドイツ当局が、西ドイツのドイツ赤軍(RAF)を支援し、その一部を東ドイツで保護していたのは、すでに知られています。東ドイツが、世界のテロリストを支援していたと見られます。それに対して東ドイツ当局が、日本赤軍をどの程度支援し、保護していたのかはまったくといっていいほどわかっていません。


東ドイツ当局にとり、日本赤軍に関する重要な情報源の一つは、在東ドイツ日本大使館でした。日本側は日本赤軍の情報を提供して、東ドイツ当局から日本赤軍の情報を得るほか、日本赤軍の捜査と逮捕に協力を得ることを目的としていました。


東ドイツ側はシュタージ文書からすると、日本との外交関係に傷をつけたいくたいとして、表向きは日本側に協力する姿勢を示しています。ただ実際には、東ドイツ側の便益を考えて、日本赤軍の調査をしていたのもシュタージの文書から伺えます。


シュタージにおける対日本赤軍作戦は、「ゲルト作戦」と表記されていました。「ゲルト」というコードネームを持った人物が、日本赤軍の動きを監視していたと見られます。


ただ正直いうと、シュタージ文書から何らかの情報を得るには、限界があります。シュタージ文書は、文書を管理する機関に閲覧を申請すると、機関の職員が関連の文書を探してくれ、見つかったものを閲覧させてくれるだけのものだからです。実際に、すべての関連文書が提供されているのかは、まったく知らされません。ぼく自身で文書を探すこともできません。


文書の閲覧はあくまでも、担当職員頼りになります。職員の裁量で見つかった文書を閲覧できるだけなのです。情報も個人に関わるものは、黒く塗られています。その基準もはっきりしません。ジャーナリストには、コードネームの本名も教えてもらえません。


東ドイツにおける日本赤軍の活動については、ぼくがその条件で閲覧した限り、それほど注目すべきことはありませんでした。


東ドイツに出入りしていたのは、ほぼ西川純だけだと見ていいと思います。それ以外の人物は、トランジットで東ドイツに立ち寄った程度だと思います。西川純は1974年3月、当時東べルリン郊外にあった北朝鮮大使館に滞在していました。滞在期間は約三週間。その後、東ドイツ当局が手配して、西ベルリンへ出国しています。


西川はさらに1974年9月3日、東ベルリンのシェーネフェルト国際空港からベルギーのブリュッセルへ出国しようとしました。ただその時は、日本のパスポートを2冊所持していたことから止められ、取り調べを受けています。その時に所持していた日本赤軍の暗号コード表も、没収されました。


シュタージ文書には、その暗号コードを暗号とは気づかず、まじめに日本語からドイツ語に翻訳しようとしていた痕跡が残っていました。その翻訳を見た時は、笑ってしまいました。


西川はその後の9月13日、オランダのデン・ハーグで奥平純三らと一緒にフランス大使館を占拠。フランス側に拘束されていた日本赤軍の山田義昭の釈放を求めました。山田が釈放されると、西川はシリアに逃亡しているはずです。


西川は翌年3月にも、東べルリンで北朝鮮大使館が手配した建物に潜伏していたという情報があります。しかしこれについては、東ドイツ当局は最終確認できず、確定できていません。


(2022年6月03日)
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東ドイツにおける日本赤軍のことは、拙書『小さな革命、東ドイツ市民の体験、統一プロセスと戦後の二つの和解』(言叢社刊)でも簡単に書いています。
関連サイト:
シュタージ文書管理機関(ドイツ語)
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