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アッハソー、2001年11月

9月11日の米国でのテロ事件はドイツ社会を大きく変えてしまった。


シュレーダー首相は事件後すぐに、米国に対してドイツの無制限の支援を確約した。メディアの世界では、反米的な発言は御法度だ。在独パレスチナ代表がテレビのインタビューに応えてこれまでの中近東における米国の対応を批判すると、インタビュアーはすぐに話しを中断させた。緑の党のロート党首は、テレビのトークショーで反米的な発言をほのめかしただけで、他の参加者から袋だたきに合っていた。ザクセン州では、授業で反米発言をしたとして3人の先生が停職させられた。「報復反対」のプラカードを持った一行は、ブランデンブルク門前で行われたテロ事件追悼集会への入場を阻止された。


ちょうど9月11日にベルリンに滞在していた米国の女流作家スーザン・ゾンタークが、事件直後Fフランクフルター・アルゲマイネ紙に反米的な寄稿文を寄せていた。しかしこれが、唯一の例外といっても過言ではなかった。


ドイツ国内では作家など文化人が反米発言をしたり、反戦を訴えるまでには少し時間がかかった。ドイツ文化人の度胆を抜いたのは、むしろインドの女流作家アルンダティ・ロイだ。ロイは9月28日付けフランクフルター・アルゲマイネ紙に寄稿して、ブッシュ大統領とビンラディンの思考構造は同じだ、と分析してみせた。その後、第1チャンネルのニュース番組「今日の話題(Tagesthemen)」のニュースキャスター、ウーリヒ・ヴィッケルトは、ロイの文章を引用して新聞紙上に寄稿文を載せた。ところがヴィッケルトは、政界からの圧力で番組中に、自分の考えはロイと一致するものではないと弁明せざるを得なかった。


今でこそ、ようやく反戦的、反米的な発言ができるようになった。しかし、ドイツでは依然として反米発言はタブーなのだ。


反戦を唱える平和主義運動も影を潜めてしまった。アフガン侵攻に反対する抗議デモが行われても、人はあまり集まらない。10月はじめの世論調査でも、ドイツ人の約70%はアフガン侵攻に賛成としていた。ドイツ兵士の派兵についても、60%弱が賛成している。ただこれを東西で比較すると、ドイツ西部では60%超が派兵に賛成しているのに対して、ドイツ東部では半分以上が派兵に反対している。


西側でも米国一辺倒に傾いた世の中に不信を抱いている人もいるわけで、10月下旬に行われたベルリンの市議会選挙では派兵反対を唱える民主社会主義党(PDS)が躍進した。それは、PDSが現在ドイツで反戦を主張する唯一の政党だからだ。選挙においてPDSは、西ベルリンで6%の得票率を得た。小生は、これは画期的なことだと思う。


11月16日、ドイツ連邦議会はドイツ兵士の欧州外への派兵を決議した。シュレーダー首相は派兵決議において、社民党と緑の党の与党だけで過半数を達成するため、内閣の信任投票を派兵決議と連結させた。こうして、派兵に反対する社民党内左派や緑の党左派に圧力をかけ、賛成を強要したのだ。そのため国会審議では、信任問題にだけ議論が集中したまま、派兵が国会で決議された。これも無制限の支援なのであろう。派兵、つまり人間の命にかかわる問題は真剣に議論されることはなかった。むしろ、必要ないとされたのであろう。


国会決議後、当日の夜にはプレス舞踏会が行われた。メディアの代表も含め、政治家たちは御機嫌に社交を楽しんだのだ。人間の命について決定したという意識がないのか、人間の命は権力の前ではかくも軽いものなのか、これがドイツの現実だ。


ニュースの路上インタビューで旧東独市民が、米国に対する無制限の支援を約束した現在のドイツは旧ソ連に無制限の支援を誓った旧東ドイツといったいどこが違うのか、と発言していたのが思い出される。(J・O)


(2001年11月1日)
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