2018年7月掲載 − 小さな革命 − J・Oのベルリン便り
アッハソー、2006年12月

ドイツでの今年1年を振り返ると、今年はやはり何といってもドイツで開催されたサッカー・ワールドカップにつきるのではないだろうか。「今年のことば」(日本でいえば流行語大賞)にも「Fanmeile」ということばが選ばれた。これは、日本語ではパブリックビューイングということだ。ドイツ代表チームの活躍もさることながら、サッカー・ワールドカップがこれほど平和に、盛り上がったのはめずらしい。ドイツでは、サッカーは学のない庶民、それも男性のもので、サッカー・ファン=暴力と思っている人が多い。たとえばブンデスリーグ(ドイツ一次リーグ)のサッカーの試合を観にいくことは恐いこと、サッカーの試合のある日は、地下鉄や電車に乗るのは避けたほうがいいとも思われている。実際、サッカーの試合のある日は、キー駅ではたいへんな警備だ。


ドイツのサッカーの日常は、実はこうしたものなのだ。


それが、いざふたを開けてみると、人々は和気あいあいとサッカーを楽しんでいる。ドイツ人に対する世界中の人々の見方が、このワールドカップによって変わったともいわれる。誰にでも(特に外国人にもということ)こんなに気軽に、オープンに対応できるドイツ人なんて信じられない。気難しく、暗い感じの通常のドイツ人はどこにいったのか。


小生は何度となく、ブランデンブルク門前の大きなパブリックビューイングに足を運んだ。正直いうと、最初は危ない目に遭わなければいいがと一抹の不安を抱きながらも、パブリックビューイングのゲートを抜けていった。それが、一旦中に入ってみると、そこは世界市民の祭典であるかのように、みんなが一体になって試合の一コマ、一コマに一喜一憂している。いかにもサッカーファンという感じの若者から、おじいちゃんやおばあちゃん、中年の女性、若い女の子、小さなこどもまで。いろんな人々が集まっている。


小生は、まったく知らない隣人たちと肩を組んで、ドイツ国歌を斉唱する羽目になった。ドイツ代表チームが得点する毎に周りの隣人たちと抱き合ったり、手を叩き合ったりと、その場ではじめて顏を合わせたドイツ人たちと同じように歓喜するようになっていた。


ドイツ代表チームの活躍とともに、ドイツは国全体が国旗だらけになってしまう。アパートの窓には至ところにドイツ国旗がかかっている。車はドイツ国旗をたなびかせながら颯爽と走っている。それと平行して、過去の歴史から愛国主義を巡る議論が起こって、サッカーとともにドイツ全体が右傾化してしまうのではないか、それが極右政党に悪用されてしまうのではないかという危惧が起こった。しかし、市民が国旗を掲揚したのはドイツ代表チームを応援して、チームとの一体感を表現するものでしかなかった。だからワールドカップ後に、特に極右政党が伸張するという傾向はまったく見られなかった。


むしろ、代表チームが躍進している間はいいが、負けて敗退してしまった場合、どうなるかのほうが心配だった。試合毎に優勝への期待が膨らんでいっただけに、それが途中で負けてしまったら、ファンは荒れないか、ドイツ全体が急に奈落の底に落っこちて虚脱してしまわないか。


確かに、準決勝のイタリア戦敗戦直後のパブリックビューイングは、悲惨だった。あちらこちらでしゃがみ込んで、頭を抱えたり、涙する顏がたくさんあった。まったくそれはお葬式だった。それでも、現実を現実として受け入れざるを得ないことを悟ったかのように、みんな静かに、そして暴れることもなく、パブリックビューイングを去っていく姿が印象的だった。


ドイツは虚脱することなく、また現実の日常に戻った。そして、サッカーも日常に戻ったのだ。ワールドカップの時の平和なサッカーが虚構であったかのように、再び、ファン同士のいざこざがあり、外国人選手(特に、黒人選手)に対して暴言やいやがらせがある。


ワールドカップの時の前向きで明るいドイツ人はどこにいったのだろうか。再び、何でも悲観的に見ては、文句ばっかりいう現実のドイツ人が戻ってきた。ドイツの夏のメルヘンは終わったのだ。(J・O)


(2006年4月1日)
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