美術館でバロック時代の絵画を見るというのは、そう体験できることではない。
バッロク絵画の巨匠といえば、レンブランドやルーベンス、ベラスケス、フェルメールなどの名前が思い浮かぶかもしれない。でも一部の画家を除くと、作品が各地に分散されてしまっている。見たい作品は、そこに行かなければならない。
バッロク前のルネサンス時代の作品では、神話や宗教的な作品が目立つ。でもバッロクになると、宗教との関わりは薄れ、宗教や神話の物語性よりは、作品自体が魅力を持ってくる。
その分、表現がおおげさで、作品の人物の動きに躍動感が見られるようになる。
バッロクになると、風俗画や風景画、静物画など、日常に関わりのある絵画が目立ってくるのも特徴だ。
ぼくは、これは人間の欲求と深く関係していると思う。時代とともに視野が広がり、自分が実際に体験できる世界以外にも、見たい、知りたい世界が広がってくる。でも当時、カメラやテレビなどはない。絵画がその役割を担っていたのではないかと思う。
画風も写実的になる。
高尚、高貴に思われがちな当時の絵画も、当時からすれば単なる娯楽の一種だったのではないか。
裸を描くエロ的な作品もあれば、自分の知らない風景やきれいな風景を描いた作品もある。絵画は、人間では実際に体験できなくても、知りたい、体験したいというビジュアル上の欲求を満たしていたのではないかと思う。
フェルメールは、日本のおじさんたちに絶対的な人気がある。ぼくは、フェルメールの作品に出てくる女性は高級娼婦だと思っている。それが当時、男性たちの欲望を満たしていたのではないか。
フェルメールが人気があるのは、今も昔もかわらない。男性の”すけべ”な欲求からきているのではないかと思う。
ぼくは、そういう娯楽的な要素がバロックオペラにもあると思っている。当時は、テレビやビデオがない時代。それに代わって、好きだ、フラれたと単純なメロドラマを楽しませてくれたのが当時のバロックオペラではないのか。だからこそ、実際の社会では実現できない人間の素直な気持ちがドラマの中に表現されている。
バロックオペラも当時、娯楽の一つだったのだ。
そこに、バロックオペラのおもしろさがある。決して高尚ではない、単なるメロドラマ。オペラはけだかく、難しいと思うのではなく、なーんだ昼メロかと思って楽しめばいい。
(2019年3月18日)
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